Column

二十四節気と七十二候

雨水 –空も大地も潤みはじめて–

二十四節気

雨水うすい:新暦2月19日頃

陽気地上に発し、
雪氷とけて雨水となれば也
(暦便覧)

 新暦の2月はまだまだ寒く、月の平均気温が1月を下回ることもたびたび。ですが周囲に目をやると、あちこちに花が開き、待ち遠しい桜も少しずつつぼみを膨らませ春の準備を進めています。暦便覧にもあるように雪もこの頃を降り納めとし、積もった雪は解け出して大地に潤いを与えていきます。染み込む水の合図を受けて、土の中では草木の芽や虫たちが今か今かと出番を待ちかまえています。

七十二候

土脉潤起どみゃくうるおいおこる:2月19日頃

 少しずつ土が湿り気を含み始め、これからやってくる旺盛な芽吹きの時期を予感させます。雪解けや霜解け、春の雨などでこの時期の地面はぬかるむことが多く、そんな状態を表す「春泥(しゅんでい)」も春の季語に。ひと冬の眠りから覚めた大地の息遣いが伝わります。

霞始靆かすみはじめてたなびく:2月24日頃

 霞のたなびき始める時期。霧というと立ち込めるイメージですが、霞はたなびき、どこか動きがあって軽やかな印象。乾燥した冬の空気から、多湿の春の空気へ。霞には移ろう季節のイメージも重なって見えるのかもしれません。

草木萠動そうもくめばえいずる:3月1日頃

木の芽コシアブラ いよいよ草木の芽吹きがはじまり、待ち望んだ春本番まであと一歩。木々が新しい芽をだす頃は「木の芽時」。春の天候は不安定で、「木の芽冷え」「木の芽雨」と「木の芽晴れ」を繰り返しながら、穏やかに、しかし確実に日一日と暖かみを増していきます。

季節のことば

かすみ

 霞は純粋に文学的な表現で、気象用語としては用いられません。天気予報で「霞注意報」を聞くことはないようです。
 気象の現場で使用されるのは、霧と靄。まっすぐに見通せる距離が1km未満の状態を霧、それよりもやや薄く、視界が1〜10km程度の場合を靄と区別しています。一方で季語の世界ではまた異なり、春を霞、秋を霧と使い分けます。時間によっても呼び方が変わり、日中は霞、夜になると朧(おぼろ)。なかなかにややこしく、モヤモヤと頭が霧に包まれたような気持ちに…。
 霞、霧、靄ともに正体は同じもので、地面に接して現れた雲のこと。春、草木が芽生え始めると地上の空気にも水分が多く含まれるようになり、これが冷やされて細かな粒子になると雲=霞の発生となるわけです。早朝の霞も清々しいものですし、昼間の霞もどこか非日常的な気配を感じさせるもの。霞を食べて生きるわけにもいきませんが、忙しい春の日、ふうっと一息霞を吸ったら、いつもとは違う穏やかな時間が流れだすのかもしれません。

朝霞のマメザクラ

朝霞のマメザクラ

春月夜はるづきよ

 昼の霞は夜になると朧と名を変え、いっそうしっとりとした情感をまといます。春の夜、たなびく朧を通して見るのが朧月で、朦朧と輪郭の定まらない月の光は、冴え冴えと刺さるような冷たさをもった冬の月とはまるで別のもののよう。三日月、半月、いろいろあるなかでも、春月夜、朧月にはやはり満月が一番よく似合うようです。
 湿度の高い吸い付くような春の空気も、夜になるとひんやりと肌に心地よいもの。お花見の晩、酒に火照った頬を冷ましてくれる朧には優しささえ感じてしまいます。夜桜越しの朧月、そんな光景を目にしたら、酔いも吹き飛んでじっと見入ってしまいそう。春の月には、人の心を吸い寄せる妖しい魅力が備わっているようです。

暈をかぶった朧月

暈をかぶった朧月

この時期の風習や催し

ひな祭り

 三月三日は上巳の節句。「女の節句」としてひな人形を飾って祝うようになったのは、江戸時代に入ってからのことでした。ひな人形も高級なものは一体一体、職人が丹精込めて顔を描いていきます。髪の毛まで丁寧に手植えされるものもあり、こうなるともう芸術作品の域。ひと月足らずで仕舞うのが、なんとももったいないですね。
 旧暦では桃の花の咲く頃にあたることから「桃の節句」ともいわれ、宮中では桃の花びらを浮かべた桃酒を飲む習慣もありました。桃には魔除けの力があると信じられ、一口一口に健康と長寿が願われます。
 最近では有名ホテルなどで、何百、何千というひな人形を一斉に飾る盛大なイベントが催されることも多くなりました。おひな様のまわりを可愛らしい吊るし飾りで彩る「つるし雛」も流行の気配。発祥の地である伊豆の稲取地方では、一ヶ月以上にわたって街を挙げてのひな祭りイベントが開催されています。

雛のつるし飾り

雛のつるし飾り

お伊勢参り

 江戸時代の庶民にとって、お伊勢参りは一生一度の最大のお楽しみでした。内宮、外宮を中心に125もの神社から構成される伊勢神宮は常に厳かな気配に包まれ、季節を限らずいつお参りにいってもよいのですが、「せっかく行くなら行楽日和に…」ということで春のお伊勢参りが好まれ、いつしか春の風物詩として定着していきました。
 神宮では、外宮から内宮へと参拝するのが習わしです。元祖ツアーガイドである伊勢御師の案内のもと、伊勢の奥宮といわれた朝熊山や、滋賀県の多賀大社まで足を延ばす熱心な参拝者もたくさんいました。しっかりとお参りをすませたあとは、手こね寿司や伊勢エビなど伊勢湾の海の恵みに舌鼓。そして伊勢うどんで腹ごしらえした男衆は、「精進落とし」とばかりに伊勢古市の遊郭に繰り出すのがお約束になっていたとか…。自由な旅行の許されなかった時代、お伊勢参りはリフレッシュしたり、ハメをはずしたり、道中で見聞を広めたり、楽しみ方もさまざまに庶民にはなくてはならない人生儀礼となっていました。

伊勢神宮 内宮神楽殿

伊勢神宮 内宮神楽殿

野焼き

 春、よく晴れた風のない日を狙って野原に火を放ちます。前年からの枯れ草が焼けて文字通り一面の焼け野原になるわけですが、おかげで草につく害虫やダニなどが一掃され、焼け跡からは家畜の餌になる柔らかい下草が元気に芽を出します。ワラビやゼンマイといった山菜もよく育ち、枯れ草の灰自体が良質の肥料になるため土壌も豊かによみがえります。野焼きは一石四鳥のとても効率のよい農法でした。
 近年は動植物への影響の大きさや、防火、環境問題への配慮から条例で野焼きを禁止する自治体もでています。農耕用の牛馬の減少など、農業を取り巻く時代の推移も影響しているようです。
 一方で、野焼きの伝統を守り、観光資源として活用しようという動きも。有名なのは熊本県の阿蘇の野焼きで、3月、日没とともに広大な阿蘇の原野に放たれる火は、神秘的な輝くうねりとなって暗闇の中を燃え広がっていきます。多くのボランティアに支えられながら、毎年伝統の火が伝えられます。

久住高原の野焼き

久住高原の野焼き

季節の食・野菜・魚

キャベツ

 地中海生まれのキャベツは、世界で最も広く栽培されている野菜だともいわれます。潰瘍を癒すビタミンUを含んで疲れた胃腸を助ける効果もあり、さながら畑の胃腸薬といったところ。
 原種は青汁の素としてもおなじみのケールで、結球する種類が生み出されたのは今から1000年ほど前。日本には江戸時代末頃に伝わりましたが、食用として定着したのは洋食のトンカツにキャベツの千切りが添えらるようになったからなのだとか。たしかに脂たっぷりのトンカツに、さっぱりと胃を癒すキャベツ以上のベストマッチはちょっと思いつきません。
 3月頃までが食べ頃の冬キャベツが終わると、入れ替わるように春キャベツのシーズンがはじまります。冬キャベツは甘みを、春キャベツは葉の柔らかさを楽しみます。
 葉物野菜で最も糖質が豊富で、生でもしっかり甘みが感じられるほどですが、なかでも北海道和寒地方で生産される越冬キャベツは甘みがダントツ。冬場あえて氷点下の雪の下で保管することで、キャベツ自身がさかんに糖分を作り出してくれます。

キャベツ

はまぐり

 2〜3月はハマグリが一番美味しくなる季節。「ひな祭りにハマグリのお吸い物を食べると良縁に恵まれる」といわれ、ひな祭りのお祝い膳には欠かせない食材です。グルタミン酸など旨味成分もたっぷりで、滋養効果もあり。旨味エキスは加熱で身から染みだすので、焼きハマグリを食べる時には貝殻の中の汁をこぼさないよう要注意!
 大粒のハマグリは嬉しいものですが、大きくなりすぎたものは口から妖しい気を吐いて、海の上に幻の街を作り出すといわれました。これが「蜃(ハマグリ)」の吐く「気」の「楼閣」で、蜃気楼。『古事記』に登場するハマグリの女神さまは医療の神で、死者を生き返らせる万能薬をつくります。昔の人にとってハマグリは美味しい半面、どこか神秘的で不思議な存在だったようです。
 ハマグリの貝殻はペアのもの同士でないと決して合わさらないため、貞淑や夫婦円満の象徴としても大切にされました。対の貝殻に源氏物語などの美しい絵を描いた貝合わせは、公家や武家などの嫁入り道具に。

はまぐりの潮汁

はまぐりの潮汁

岩魚いわな

 2月から3月にかけ全国で順次渓流釣りが解禁され、イワナ釣りのシーズンがやってきます。イワナはサケの仲間ですが海には降りず、一生を川ですごします。冷たい水域を好むため生息地は自然と山深い渓流に限られ、釣り人たちの間では「イワナは足で釣れ」といわるほど。
 寿命は5年ほど、長くても7、8年と言われますが、その間に大きなものは70センチ以上にまで成長します。山奥の滝壺などでは「ヌシ」と呼ばれるほど貫禄たっぷりの大イワナが釣れることがありますが、大物は味も大ぶり。遭遇しても沢のヌシに敬意を表してそっとリリースしてあげましょう。
 お祭りの縁日で塩焼きのイワナを見かけることもありますが、それらは養殖もので、天然のイワナは「幻の魚」というほどに減少してしまっています。原因は生息地の開発や外来魚の流入、心ない釣り人の乱獲など様々言われますが、水と自然の豊かさの象徴ともいえる魚、いつまでも残していきたいものです。

岩魚

関連項目

参考文献