Column

二十四節気と七十二候

立夏 -夏のはじまり-

二十四節気

立夏りっか:新暦5月5日頃

夏の立つがゆへ也(暦便覧)

5月5日~6日ごろが「立夏」。現在の日本ではゴールデンウィークの終盤と重なるこの日から立秋の前日までが、暦の上での「夏」となります。爽やかな晴天と安定した陽気が続きすごしやすいこの季節は、週末の予定も立てやすく、外出や行楽にもぴったりです。鮮やかな新緑が日々色を深めていく様や農作物が豊かに育ちゆく様子が目にとまり、暦便覧の「夏が立つがゆへ也」の言葉のとおり、夏の気配がそこここに感じられるでしょう。鳥や動物たちの子育ての姿も見つけることができるでしょう。海や川の水温はまだ低く、産卵期を控えた魚介類は5月に旬を迎えます。海・川・山・田畑の豊富な恵みで、日々の料理や食事を楽しみましょう。

七十二候

蛙始鳴かわずはじめてなく:5月5日頃

かえる蛙が鳴き始めるころ。蛙たちに恋の季節が到来し、オス蛙がいっせいに鳴き始めます。恵みの雨を呼ぶと言われる雨蛙を主に指します。別読みの「かわず」は、本来は「川の蛙」の意味。田畑にいる蛙と区別されていました。川の蛙たちの声は、水温む季節の訪れと川魚の旬の到来も告げてくれます。日本古来の蛙や亀、蜥蜴類も食欲が旺盛になり動きが活発になります。

蚯蚓出みみずいずる:5月10日頃

みみずが活発に動き出し地面からはい出るのも見られるようになるころ。平安時代の書物には「蚯蚓 美美須」の記述があり、春を告げ、豊かな土壌を生み出してくれる良き生き物という気持ちや意味合いが見てとれます。目がないことから「見えず」が訛った「めめず」が日本語読みの由来とも言われています。

竹笋生たけのこしょうず:5月15日頃

たけのこたけのこが生え育つころ。中国から七十二候が入ってきた時には「王瓜生(おうかしょうず)」と書き「カラスウリが生え育つころ」の意味でした。日本でもお馴染みのカラスウリですが、薬などとして重用されていた中国とは有難みと思い入れが少々違ったようです。どこでも採れて美味しいたけのこにいつしか置き換えられた、日本独特の言葉です。

この時期の風習や催し

端午の節句

月の初めの午の日(5番目の日)を意味する「端午」。5番目の月は午の月となるので「端午」といえば5月5日を指すようになりました。古くは稲作に因んだ物忌みの日で、早乙女(清らかさを意味し、稲を植え育てる尊い女性)たちが大手を振って休養をとれる日でした。武士の時代に軍馬に因んだ飾りや流鏑馬等の行事が盛んになり、江戸時代に男子の立身出世を願う行事として制定されました。現在は子どもの日となり、男女問わず成長と幸せを願う日とされています。

鎧兜

鯉幟こいのぼり

武家には、後継ぎである男子が生まれた時、幟を立てて祝う慣習がありました。江戸時代に端午の節句が祝い事として制定された後、町人がそれを真似て和紙で鯉の幟を作ったのが始まりといわれています。どの地域でも身近な魚であった鯉は「滝登りをすると龍になるという中国の故事から立身出世と幸せの象徴とされていましたので、人々の心を捉え大流行しました。

鯉のぼり

長良川の鵜飼い開き

岐阜県岐阜市の長良川で、1300年以上の伝統を誇る「鵜飼」が始まる5月11日。鵜飼安全祈願祭や花火、各種イベントが大々的に行われます。長良川の鵜匠は宮内庁式部職鵜匠といい、代々世襲で親から子へとその技が受け継がれます。観光鵜飼漁は、中秋の名月及び増水等で鵜飼ができない日を除いて10月15日まで毎日開催され、間近で楽しむことができます。織田信長が「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護したと言われており、徳川家康もたびたび鵜飼を見物し鮎鮨を江戸まで運ばせていました。

長良川の鵜飼

葵祭

平安時代、「祭」といえば「葵祭(正式名称賀茂祭)」のことを指しました。京都三大祭のひとつで、賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の五穀豊穣と国の安泰を願う例祭です。源氏物語にも登場する荘厳な例祭は、江戸時代の1694年に祭が再興された後、内裏宸殿の御簾や供奉者の衣冠、牛馬などのすべてを葵の葉で飾るようになったことにより、いつしか葵祭と呼ばれるようになりました。

葵祭

三社祭

正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと云われる浅草神社の祭礼で、正式名称は「浅草神社例大祭」。神事「ぴんざさら舞」で幕をあけ、100基を超える町神輿が登場します。各町の趣向をこらした山車と勇壮な担ぎ手は、創始の折より江戸の華。1トンを超える本社神輿の渡御で最高潮を迎えます。

三社祭

季節の食・野菜・魚

柏餅

ある日を過ぎると価値が落ちるもの・役に立たぬもののたとえの「六日の菖蒲、十日の菊」をもじり、明治・大正時代に東京下町で「六日の柏餅」という言葉が流行りました。柏餅を食べるようになったのは、男子の節句として祝うようになった江戸時代から。柏の葉は冬でも落葉せず新芽が出ないと古い葉が落ちないため、家系が存続し繁栄するという縁起を担いだ日本独特のものです。

ちまき

粽は中国伝来。忠義の人として名高い2300年ほど前の屈原(くつげん)という詩人が亡くなった日が5月5日であったことと、その死を悼み、人々が供物を川へと流したことに由来しています。悪い龍から供物を守るため、龍が苦手とする楝樹(れんじゅ)の葉でもち米を包み、邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ってから川へ流すようにしました。

ちまき

「竹(の子)の旬」と書いて筍。旬は「10日ほどの期間」を指す言葉です。成長がとても早い植物なので、頭が少し土から出たらもう堀りごろです。ハチクやマダケがお店に並び始めたら、早めの時期に小ぶりなものを選びましょう。小ぶりなものは頭から裾まで柔らかく、あく抜きの手間もかかりません。皮を少し残したぐらいの状態で切り込みを入れてから煮ると、皮のむき過ぎが防げます。

たけのこ

浅蜊あさり

この時期のあさりは産卵期前にあたり、鉄分やミネラルが豊富に含まれています。江戸時代には、早い・安い・美味いの三拍子が揃ったあさりの炊き込みご飯「深川飯」が大流行。いわゆる「漁師飯」にヒントを得たもので、現代の牛丼のように庶民に愛されました。高度成長期の環境汚染により東京湾での漁や養殖が不可能となったため高価なものになってしまった深川飯ですが、現在も元祖の店が深川の八幡さま「富岡八幡宮」敷地内と、清澄庭園近くの商店街の中に残っています。

あさり

関連項目

参考文献