二十四節気
処暑
陽気とどまりて、
初めて退きやまむとすればなり
街路樹を揺らす風の熱気は薄れ、暑さが峠を越えたことを感じます。山林や水を渡った風に涼しさが織り込まれ、朝晩の涼気と晴れ続きの好天が穀物の実りを確実なものにしていきます。早く落ちてしまう太陽にいくばくかの寂しさを感じつつ、時折訪れる台風や雷雨に注意しつつ、耳を澄ませば秋の足音。エンマコオロギとスズムシの歌が日本の夜を包みます。フィリリリリリ…と高く澄んだ音のクサヒバリや、チン…チン…と鐘を鳴らすような小さな音を立てるカネタタキの声が昼間も聞こえてきます。河川敷では、ルルルル、リューリュー、ピロリロリーと可愛い声で鳴くカンタンの美しい姿を見ることができるかもしれません。
七十二候
綿柎開
綿を包む咢(がく)が開く頃。木綿の収穫を楽しみにしていたことがうかがえます。綿(わた)は蚕の繭をほぐしたものを指す言葉でしたが木綿を指すようになり、真綿(絹の綿)という言葉が生まれました。木綿がインドからシルクロードを経て日本で栽培されるようになったのは14世紀。全国に反物として流通するようになったのは江戸時代のことです。生け花で使う綿は上を向いて開いていますが、これはアメリカンコットン。昔の人が楽しみにしていた和綿(わめん)は、下を向いて小さな咢を開かせます。
天地始粛
古くから栄えた農地には清流や山蔭があるので、朝晩は寒いと感じることもあるほどになります。しかし市街地では「ようやく暑さが鎮まる頃とはこれ如何に」と明治時代には既に嘆かれていました。せっかく暑さの峠を越えたというのに、夏休みを取る人は減り、学生が戻り、通勤電車は常夏の様相となります。首都圏の全車両にクーラーが配備されたのはなんと平成になってからのことです。乗車率が今の比ではない高度成長期もバブル期も、扇風機や送風機が通勤の頼みの綱でした。
禾乃登
穀物が実る頃。禾(のぎ)は長い間主食であった粟(あわ)を指す言葉でしたが、転じて穀物全体を指すようになりました。長い間お腹いっぱい食べてみたい「夢の食べ物」だった米も色づくこの頃は、台風や雷を伴う雨が多くなります。稲を倒し駄目にしてしまう台風は野分(のわけ)と呼ばれ恐れられましたが、雷は「稲を実らせる」として喜ばれていました。金色に輝く雷を稲光や稲妻と言うのはこのためです。
リンク:立秋
季節のことば
二百十日
9月1日頃。立春を起点とする二百十日目。八朔・二百二十日とともに、農家の三大厄日とされています。「台風が来て荒天となる日」とされていますが、実際には好天となることが殆ど。1685年に制定された「貞享暦」において渋川春海が採用した暦注(れきちゅう)ですが、二百十日という言葉はもっと古くからあったものです。風鎮祭を二百十日に行ってきた地が多く、晴れの特異日と言えるほどであることを教えてくれます。稲穂が大きく育つこの時期に天候への注意を促し、村人の結束を強めることはとても有意義なことだったのでしょう。
穂波
一面に実った穂が波のように揺れる様。稲や麦以外の穂波をたくさん見つけましょう。田んぼの畦には天突(てんつき)が稲に負けじと小さな穂を揺らしています。野山では芒(すすき)が、池や沼の傍では蒲(がま)が、川では葦(あし、よし)が、グングン背丈を伸ばしています。土手に根を張る茅(ちがや)はそろそろ見納め。街中でも見かけるのはおままごとで活躍した雀稗(すずめのひえ)や雀小稗、猫じゃらしに白藜(しろざ)。白藜は、さっと湯がくと野趣あふれる美味しいおひたしになる若葉の方に注目です。
初秋
「吹く風に、ゆく夏の気配を感じます」などの書き出しもお馴染み。涼しさを嬉しく思う気持ちは文字に残したくなりますね。江戸町人は「暑さに飽きて秋だ秋だと言うから本当に秋がくる」として、日中いかに暑かろうと「おはよう」「こんにちは」などの出会いがしらの挨拶のあとに「秋ですね」と口にしました。二汁五菜など夢物語、食べ物は天秤棒を担いだ物売りを待つしかない暮らしです。栄養豊富で日持ちのよい根菜や穀類が豊富になる秋は、農地と等しく待ち遠しいものだったのです。実りを願う町人の言霊は、農地へきっと届いたことでしょう。
この時期の風習や催し
施餓鬼会
本来は特に期日を定めず、餓鬼(弔う縁者のいない魂)のために随時行います。宗派・地方によって開催時期や内容が異なり、盂蘭盆会(うらぼんえ)と一体化していることが多く、欲得によって餓鬼道に落ちた者のためとするところもあります。享保6年(1721年)から始まった大阪・正連寺の「川施餓鬼会」が有名ですが、8月23日~26日頃に行うところでは、近づく刈り入れの時期の安寧と豊穣を祈り、他者への慈しみの心を持つことを戒めることが多いようです。
天祭
「やめると天災が来る」として、五穀豊穣を願って刈り入れ直前となる8月23日~26日頃に全国的にやっていた農耕のお祭りです。元禄10年(1697年)の文献にも残っている栃木県市貝町田野辺の高龗神社(たかおじんじゃ)の「田野辺の天祭」が有名。見どころは1日目に行われる行道に起源を持つ勇壮な「裸もみ」。上半身裸の若者が境内で激しく体をぶつけ合います。
吉田の火祭り
毎年8月26日、27日に行われる「鎮火大祭」は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭り。日本三奇祭「吉田の火祭り」として有名です。26日の暮れ方に高さ3メートルの筍形に結い上げられた大松明70本以上が明々と灯り、家毎に井桁に積まれた松明にも一斉に点火されるので、街中は火の海の様相となります。27日は氏子崇敬者が「すすきの玉串」を持ち、二基の神輿に従って高天原を廻るので「すすき祭り」とも呼ばれます。
おわら風の盆
富山市八尾地域で毎年9月1日から3日にかけて行われる富山県を代表する伝統行事。元禄時代に始まった歴史あるお祭りで、その起こりは二百十日の意識に因んだ風鎮際であろうとされています。日本の民謡のなかでも屈指の難曲とされる越中おわら節にのって無言の踊り手たちが洗練された上品な踊りを披露し、約25万人の見物客は静かにその空気に酔いしれます。楽しい豊年踊りと勇壮な男踊りは農作業を表現し、艶やかで優雅な女踊りは蛍狩りを表現しています。
季節の食・野菜・魚
梨
沖縄を除く46都道府県で生産・出荷されている秋の味。お盆の頃には高くて仏様にお供えするのが精いっぱいでしたが、露地物が旬を迎えます。和梨の原種は中部地方以南に自生する野生種ヤマナシを基本種としています。因みに山梨県は第40位。トップは千葉。茨城・栃木の北関東勢があとを追う形です。梨もぎは、名産地は既に予約でいっぱい。当日OKの穴場は殆どないので、栗ひろいの予約をするのはいかがでしょう。
鮑
産卵期に入ると味が落ちるので、夏が旬。処暑はコリコリとした食感を獲れたてを刺身で楽しめる最後の季節となります。古くから愛されてきた貝で、縄文時代の遺跡からは黒鮑が出土しています。室町後期の桑家漢語抄(そうかかんごしょう)には「阿波美(あわび)は常に片甲が岩石にかかる、逢わず侘しいの義なり」と命名の理由が書かれています。それぞれの時代の天下人や貴人の食卓を飾り、最も深い所に住む真高鮑(まだかあわび)は特に珍重されました。
縞鯵
なかなかハンサムな魚で惚れ惚れするような美しい姿をしています。引きが強く口は弱いため、傷をつけずに綺麗に吊り上げるのが難しく漁師の腕も見せどころ満点の魚です。江戸前寿司ではシンコが終わると人気を集める高級ネタで、臭みのないとろりとした味わいがクセになります。天然ものはなかなか手に入らないので「狼」「幻」などの名で供されることも。
秋刀魚
秋に獲れる刀のような魚。見た通りの字があてられた詩歌や落語に幾度も登場する庶民派の人気魚です。その味がキラリと光るのは10月まで。焼き秋刀魚に欠かせない大根おろしは、9月中は辛みの強い夏大根、10月は甘みが強く汁気の多い秋冬大根かが旬となります。辛みの強い大根で食べたい方は9月を狙いましょう。目黒のサンマ祭りは9月1日から。
- 新版 美麗写真でつづる 日本の七十二候 晋遊舎
- 二十四節気と七十二候の季節手帖 山下 景子著 成美堂出版