Column

二十四節気と七十二候

立秋 –楽しき残暑の日々–

二十四節気

立秋りっしゅう:新暦8月7日頃

初めて秋の気立つがゆへなればなり(暦便覧)

禾に火と書いて秋。禾(のぎ)は本来長い間主食であったアワを指す言葉で、転じて穀物全体を指すようになりました。火は「色づく」「熟す」を意味しています。立秋以後の暑さを残暑と言いますが「暑さは残りますが、飽きるほどの食べ物で満ちあふれる実りの季節としての秋が始まります」ということ。さあ暑中よりもずっと長い残暑の日々を楽しみましょう。海や川、プールなどでの水遊びは、厳しい暑さだからこそよりいっそう楽しいものとなることでしょう。丹精込めた五穀やみずみずしい果実、自生種の実や根など、豊かな実りとどこの地に行っても出会えます。大手を振って休める嬉しい大人の夏休みには、里帰りやお墓参りになかなかできない遠出。秋の字に涼しさを求める方は、空を見上げてみてください。筋曇が、高く澄んだ空に涼しげに流れる日が増えていきますよ。

七十二候

涼風至すずかぜいたる:8月7日頃

涼しい風が立ち始める頃。日がどんどん短くなり、それにつれて進む朝晩の涼しさに嬉しいような切ないような気持になりますね。日としての立秋は暑さの頂点となる日で、夏のご挨拶は、立秋の翌日から残暑とします。湿気が少々おさまりからりと晴れて、風にも湿気がないことを感じる日が増えていきます。強い風の時は初嵐(はつあらし)、弱めに吹いたならば初秋風(はつあきかぜ)と呼びます。

寒蝉鳴ひぐらしなく:8月13日頃

ヒグラシ蜩(ひぐらし)が鳴き始める頃。明治の略歴本に蜩と書かれたことからこの読み方が一般的となっていますが、寒蝉の元の読み方は「かんぜみ」「かんせん」。秋の蝉、秋を告げる蝉という意味で、ツクツク法師の古名でもあります。どちらが本当の寒蝉なのかと言えば、答えは両方。お盆の頃に羽化するのはツクツク法師。対する蜩の羽化は早い年では6月に始まりますが、蝉時雨の中から1つ2つと声が消え、日中もヒグラシの涼しげな「カナカナナ…」の声が立つようになるのです。

蒙霧升降ふかききりまとう:8月18日頃

深い霧がまとわりつくようにたちこめる頃。地面に雲ができた状態、蒙霧(もうむ)を都心部で見ることは大変稀です。まとわりつくほどの幻想的な霧には、森や湖など、空気中に水分をたたえたところで逢うことができます。同じ現象でも秋は霧、春は霞と呼びます。昔の人は、ため息をつくときに出る湿った心が霧を作ると考えたそうです。嘆きの深いことを霧にたとえた「嘆きの霧」というもの悲しくも美しい言葉も残したい日本語の1つです。

季節のことば

旱星 ひでりぼし

乾いた夏の夜空に赤く輝く星。赤星とも言い、蠍座のアンタレスや火星を指します。赤々と明々とこれらの星が強く輝くと、秋の実りは豊作となるとされました。この暑さこそが豊かな実りの証と己を励まし働いたのであろう昔の人の気風がなんとも素敵です。佐賀・香川・岐阜などの一部ではその名も「豊年星」の別名があります。お酒に酔って赤いのだとする酒酔い星・酒売り星・酒買い星の別名は、日本酒や焼酎の名産地である九州や中国地方に集中しています。

片陰かたかげ

片陰2建物が道の片側に日陰を作る様。夏の季語ですが、朝晩の涼しさがかえって日中の暑さを際立たせる残暑にこそぴったりの、消えてほしくない美しい日本語の1つです。クールビズもひと段落してしまい、ネクタイを少々緩めてもジリリと暑い昼下がり。片陰を見つけた時の嬉しさといったら、砂漠の中のオアシスに匹敵するほどです。「片陰に涼を求る残暑かな」と心の中で呟いて涼を呼び込み、さあもう一仕事。

台風

7月~10月に集中する台風。8月は発生数・近接数ともに突出して高く、上陸と直撃の数も僅差で一番。続く9月があとを追います。8~9月の台風は不安定な動きをし、大型で勢力が長期化するものが多いので、お出かけの計画は柔軟に変更し充分な対処をしてください。台風が通り過ぎたあとの「台風一過」は空が澄み渡り爽やかな一日となりますので、この日に濃密な残暑の思い出を。「タイフウイッカってどんな一家?」と大人に訊ねた子ども時代を持つ方は、かなり多いのではないでしょうか。

海水浴

海水浴強いうねりを持つ土用波や毒をもった海月(くらげ)が元気に浜の近くまでやってくる頃と合致するため、海水浴場で泳ぎを楽しむのはお盆までが無難です。電気クラゲの異名を持つカツオノエボシとアンドンクラゲ以外にも、それぞれの浜に固有の毒海月がいます。浜に打ち上げられても毒にやられますので、浜の散策やビーチコーミングを楽しむ際にも海月類は触らないようにしましょう。鎌倉は桜貝が拾えることで有名です。天女が羽衣を掛けた場所として名高い三保の松原付近なら、巻貝の天女の冠を狙ってみましょう。

この時期の風習や催し

送り火

盆行事のしめくくり。盆の入り8月12日に迎え火で先祖の霊をお招きし、盆の明け8月16日にあの世へ無事にお帰りいただく送り火を灯します。東山如意ケ嶽の「大」の文字が最もよく知られている京都の「五山山送り」などの大規模なものは、仏教が庶民に根付いた室町時代からあちこちで始まったものとされています。外に灯したままの火は火事の元でもあるので、盆花の鬼灯(ほおずき)・ガマの穂・枝豆などを灯の代わりに門扉や玄関に逆さまに吊るしても良いとする地域もあります。

五山送り火

灯籠流しとうろうながし

送り火の一種。地域や使うものによって、灯籠・灯篭の両方の字が使われ、実施される日も様々です。盆提灯や造花などで飾られた精霊船(しょうろうぶね)を終着場まで運ぶ精霊流しは、長崎県や佐賀市では8月15日に、同じ流れを汲む熊本では7月15日に行われています。灯籠や精霊船は途中で回収され、お精抜きと言われる法要をし、焼却されて天へと帰っていきます。

阿波おどり

現在の徳島県、阿波国(あわのくに)を発祥とする400年の歴史を持つ盆踊りで、三大盆踊りの1つ。二拍子の軽快なリズムに乗せて、裏拍子を活かした華麗な手さばき足さばきで生き生きと飛び跳ねる踊り子が一斉にキメとタメをとる瞬間は圧巻の一言。動に突き刺さるみごとな静に、観客は大きな拍手を送ります。阿波国を離れた地で開催されるものの中では、昭和32年に始まった「高円寺阿波おどり」が集客数・完成度ともに群を抜いています。本物の阿波おどりを目指して進化してきたその歴史に胸が熱くなり「踊らにゃ損、損」な気分でいっぱいになります。

リンク:高円寺阿波おどりの歴史

阿波踊り

風玉かざたま

鬼火、人魂のこと。ふわふわと、風がなくても舞う様から。風玉をみたら「同じ時代に生まれりゃご近所様よ」の心持ちで話しかけるのが江戸っ子の粋。色々な人が日本中から集っては日々変わっていくのが江戸の町なのですから、恨みを買った覚えがなければ話し好きの愛想よしがやってきたと思うのが当然です。「あんたの話が聞けないのは残念だが、ちょっと物騒な頃合いだから家まで送っておくんなさい」で夜道も安心。悪事をする者ほど神仏や物の怪を恐れるので、寺社やお墓の多い町では夜盗が少なく安心して眠れました。悪党には風玉がさぞや恐ろしく見えたことでしょう。

季節の食・野菜・魚

汁気たっぷりで夢のように甘い水蜜桃が露地物の旬を迎えます。虫や傷に弱く、育成にも輸送にも手がかかるので、長い間まさに「夢の味」でした。明治時代に中国から輸入された水蜜桃が現在の日本で栽培されている桃の根幹種。出荷量第一位は山梨県です。産毛をまとった美しい姿に皮を通しても漂う芳香…古来から桃は悪霊や病魔を払う霊力のある神聖な果物(仙果)とされ、お供えや贈り物には奇数が良いとされています。伊弉諾尊(イザナギノミコト)は桃を3個投げつけて鬼女を退散させたと古事記にあり、1つの桃から生まれた桃太郎は鬼退治をします。

冷やし桃

無花果いちじく

カミキリムシ以外にこれといった敵もなく、雨には弱いことが乾いた土地でも育つ長所となり、一度実が生り始めると次々に収穫できます。原産地のアラビアでは六千年以上に渡って栽培され、多くの国々で不老長寿の象徴とされ、仙人の果物を意味する蓬莱子(ほうらいし)の別名もお馴染みですね。日本には江戸時代に中国から入り、花が地味で目立たず、花を付けずにいきなり実がなるように思えることから当てられた中国の漢字に、イチジクの読みが付けられました。

無花果

しじみ

滋養があって香りもよく、独特のうま味がどの地の水質にもよく馴染みます。土用波の頃が最も美味しいとされる「土用蜆」は在来三種のうち大和蜆のこと。紫がかった黒に白が混じる貝殻が特徴で、川と海が交わる汽水域で育つため泥臭さが少なく、蜆売りという専門職があったほど江戸前の海でもよく獲れました。万葉集には「四時美」と書かれ、冬が旬の真蜆、春が旬でいつでも最高に美味い瀬田蜆、三つ合わせて四季何時でも美味いと愛されていたことが伺えます。江戸時代には既に肝臓によいことが認識されていましたが、鉄分も多く含むので、慢性肝炎やアルコール性肝炎には過剰摂取はよくないこともわかっています。

蜆味噌汁

新生姜しんしょうが

露地物が旬の末期を迎えます。生食や調理による加熱に適し、殺菌作用や抗酸化作用がよく知られています。国内生産量の4割を占めるダントツ一位は高知県。古事記に山椒と同じ名の波志加美(はじかみ)として登場し、今でも焼き魚の添え物として出す一本生姜などは「はじかみ」と言いますね。生姜と言われるようになったのは江戸時代からですが、遅くとも三世紀には伝来し、奈良時代には生産されていたことがわかっています。
上州(群馬県)へと続く川越児玉往還の宿場町として栄えた嵐山町や、日光街道の宿場町として栄え鋳物や植木の町としても有名な川口市など、埼玉県の一部の地域には、盆の済んだ8月20日頃に「しょうがない嫁です、婿です」の駄洒落をこめて、生姜を土産に実家に顔を出す生姜節句の風習が残っています。同じく日光街道の宿場町として栄えた越谷には鯰(なまず)と生姜の郷土料理が残り、いずれも江戸時代の初めに地域を発展させるにあたって京都から人が招かれたり殿様につき従って移住した人が多いことがわかっている地域です。同じく宿場町として栄えた北関東の各地や東海道の静岡にも八朔の頃に生姜節句をする風習が残っています。生姜の文化が人々の足で運ばれたことが伺えて、浪漫を感じますね。

新生姜

ラムネ

英語のレモネードがラムネと聞こえたことから。ラムネの父と言われる東京の千葉勝五郎も中国人の「レモン水製造技師」を雇って製造法を学びましたが、完成したのはサイダーに似て非なる味、魅惑的なあのラムネ味。コッドネックボトルと言われる独特の瓶は、千葉が特許をとって販売を開始したのと同じ明治5年にイギリスのコッド氏が生み出したものが元。販売当初は舶来瓶が使用され、栓はコルクでした。ガラス玉の栓が流通しだしたのは明治20年頃。すぐに国産を始めたラムネ瓶の父は大阪の徳永玉吉です。独自の進化を遂げたラムネ瓶の美しさと完成度には、本家のイギリス人も驚嘆したそうです。栓のガラス玉はエー玉と言います。しっかりと栓をするためにA級品だけが選ばれたからとも「ええ玉だから」とも。残りはビー玉として市場に流れました。

ラムネ

関連項目

参考文献