Column

二十四節気と七十二候

立冬 -北風とともに、冬立ちぬ-

二十四節気

立冬りっとう:新暦11月7日頃

冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也(暦便覧)

暦便覧にも「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」というように、冬を感じさせる第一のものは昔も今も空気の冷たさだったようです。目が覚めてもついまた布団に潜り込んだり、家を出た瞬間外気の寒さに驚いたり。秋とは一段違う気配に、身も心もピリッと引き締まるような朝も多くなります。
仕舞い込んでいた冬物も、今や遅しと出番を待ち構えているようです。

七十二候

山茶始開つばき はじめて ひらく:11月7日頃

 つばきはじめてひらく、と読みますが、ここでいう「山茶」はツバキではなくサザンカを指します。ツバキの開花は基本的に春、この時期に花をつけるのは白く小柄なサザンカのほう。もともとよく似たツバキとサザンカは、中国でもあまり区別されずに鑑賞されていたようです。冬の訪れを告げるサザンカの開花が、七十二候の冬のスタートを飾ります。

地始凍ち はじめて こおる:11月12日頃

 大地もとうとう、霜から氷へ。舗装道路ばかりになった都会では見ることも稀になりましたが、カチカチに凍りついた朝の地面は視覚的にも冬の到来を感じさせるものでした。凍った地面の一部分だけがもっこりと盛り上がるのを「凍上(とうじょう)」「凍(し)み上がり」などといいます。鉄道のレールや建物を持ち上げてしまうこともある、やっかいな力持ちです。

金盞香きんせん こうばし:11月17日頃

 水仙の花が咲く頃。金盞は金の杯のことで、水仙の花の中心の黄色い部分を杯にみたてたもの。ヨーロッパでは、水仙は女神の嫉妬で花に変えられてしまった美青年ナルキッソスの姿と考えられて、美しくもどこか哀れな印象があったよう。対照的に東洋では飾りすぎない上品な美しさが愛され、絵画や工芸のモチーフにも盛んに取り上げられました。

季節のことば

木枯らし

木枯 読んで字のごとく、色づいた木の葉を吹き落として枯木立にしてしまう冬の強風。
 気象庁の定義では、10月なかばから11月末まで、晩秋から初冬の期間内に吹く秒速8メートル以上の北よりの風とされていて、東京と近畿でその年初めてこの風を観測すると「木枯らし1号」の発表が出されます。2014年の木枯らし1号は10月27日で、2013年よりも半月ばかり早く吹きました。乾燥した季節の強風は火事など思わぬ災害の原因になるため、注意が呼びかけられています。
 睡眠を削って手袋を編んでくれる母の姿を歌った名曲にも、木枯らしが登場しますね。ただ冷たい風というよりも、心まで震える切ない印象になるのは、どこか物寂しいこの季節の風だからでしょうか。ちなみにこの歌のタイトル、ぱっと出てきませんがそのものズバリ「かあさんの歌」といいます。
 また、風がまえのなかに木と書く「凩」の字もこがらしと読みますが、これは中国にはない日本オリジナル漢字。独特の風情をもった木枯らしを表すのに、借りた漢字ではしっくりくるものがなかったのでしょうね。

落ち葉焚き

 垣根の曲がり角で落ち葉焚き。そんな光景はもう滅多に見られなくなりました。防災上の理由や、一時期センセーショナルに取り上げられたダイオキシン問題など原因はひとつではありませんが、寒い季節にほっと心を温めてくれる、豊かな風物詩がなくなってしまったようで寂しいかぎり。一昔前までは、校庭の落ち葉を集めて焼きいも大会、といった牧歌的な行事もあったのですが…。
 焚き火はできなくなりましたが、だからといって落ち葉が減るわけでもなく、公園など大量に落ち葉のでる施設では有料の廃棄物として処理しているところが多いよう。これではお金もかさむことから、細かく砕いてかさを減らしたり、腐葉土、堆肥の材料として活用するなどの取り組みを行っている自治体もあるそうです。
 実は、童謡「たきび」のモデルになったといわれるお屋敷が今も東京都中野区に現存しています。竹垣に囲まれた立派なお屋敷で、この庭では特例として現在でも歌にちなんだ落ち葉焚きが行われることがあるそうです。

焚き火で焼き芋

焚き火で焼き芋

亥の子

 旧暦の亥の月、つまり10月の亥の日にお餅をついて、亥の刻(夜9時頃)に食べるという行事。もとは中国の無病息災のおまじないで、それが宮中に伝わりやがて民間でもマネされるようになったのですが、季節がら農村では収穫祭としても祝われたようです。またこうした経緯からか、どちらかというと関東よりも関西でメジャーな行事となりました。
 このときに食べるお餅は亥の子餅といいますが、江戸の庶民は餅は餅でもぼたもちを食べました。また「亥の日には火事にならない」という言い伝えがあり、こたつ、火鉢の使い始めや、茶道の炉開きには亥の月亥の日が選ばれました。
 この日、こどもたちはワラで作ったワラ鉄砲を手に持って、地面を叩いてまわる「亥の子づき」を行います。土地の神様を慰めて、来年の豊作を願う神事という意味がありました。
 同じようにこどもたちがワラ束で地面を叩く行事は、関東や中部では「十日夜(とおかんや)」に行われました。こどもたちは、秋になって山へと帰る田の神様に感謝を込めながら、地面を叩いて歩きます。関西の亥の子に対応するように、十日夜が行われるのは旧暦10月10日の夜。どちらも健康と豊かな実りを願う、こどもにとっても楽しい秋のお祭りでした。

この時期の風習や催し

七五三

 数え年で3歳と5歳の男の子、3歳と7歳の女の子のお祝いで、11月15日、振袖や袴で立派におめかしして氏神様にお参りにいきます。正式には髪置(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解(おびとき)という年齢ごとの行事があったのをいっしょくたにまとめたもので、江戸時代までは11月15日から月末までのうちにお宮参りにいくことになっていました。
 お宮参りにいくのは、神様に「この子も氏子の仲間入りをしました」という報告をするため。きれいにおめかしするのは二の次でしたが、今では本末が逆転しているようにも感じますね。こんなに七五三のお祝いが盛大になったのは大正時代以降のことで、特に昭和に入って、百貨店や呉服屋がパパママ、おじいちゃんおばあちゃんに大々的にPRしたのが大成功した、というのが真相のようです。
 また、今では七五三や厄払いのときにしか使わないのが「数え年」。数え年では0歳という考え方がなく、生まれた瞬間1歳とカウントします。そしてお正月を迎えるたびに1つずつ歳を重ねるため、たとえば12月1日生まれの子であれば、生後たった1ヶ月でもう2歳になってしまいます。少々理不尽なようですが、同じ年に生まれた子であれば、正月ごとに全員数えで同じ歳になるという分かりやすさもありました。

七五三

十六団子

 東北地方には、3月16日と10月16日、神様に団子をお供えする風習が残っています。16日にちなんで、団子の数は16個。お供えする神様は田の神様といわれています。
 日本では、田の神様は春に山から降りてきて田を守り、秋に収穫が終わると山に帰って山の神様になるという信仰がありました。里に降りてきた田の神様をお迎えするのが3月、そして山へと帰るときにお供えするのが10月の十六団子というわけです。
 山の神様は、春になると雪解けの豊富な水を里にもたらしてくれる水の神様でもありました。水田の守り神としてこれ以上心強い神様はいない、里の人々はそう考えたのかもしれませんね。
 ところで、昔話などでおなじみの川の妖怪・河童(かっぱ)にも、秋になると山に入って「山童(やまわろ)」という妖怪に変化するという言い伝えがあります。河童は実は山の神様のお供だったのでしょうか。十六団子を1つ2つ、つまみ食いしていたかもしれませんね。

伏見稲荷大社お火焚祭

 11月の京都の街を彩る風物詩「お火焚き」。かつては宮中から公卿の邸宅、神社に庶民の家の庭にとそれこそ霜月に煙の立たない日はないといわれるほどあちこちで行われていました。
 現在も京都の各神社で行われるお火焚き神事はこの伝統を受け継ぐもので、松葉のついた枝を組み上げて火をつけ、祝詞やお神楽を奉納しながら神様をお鎮めします。なかでも11月8日に行われる伏見稲荷大社のお火焚きは京都でも最大のスケールで、神様にお供えする神聖な田で収穫されたワラを燃やし、願い事の書かれた「お火焚き串」という木板をくべて願いを神様に届けます。お火焚き串は日本全国の信奉者から届き、その数はなんと数十万本にもなるそう。火柱は人の背丈のゆうに2倍、3倍ほどまで立ち上り、神様を山へとお送りするのだとも言われています。
 同日夜には、かがり火の薄明かりのなかで歌や雅楽、古式舞が披露される御神楽が行われて、幽玄のうちに祭りを締めくくります。

写真は花山稲荷神社火焚祭

写真は花山稲荷神社火焚祭

季節の食・野菜・魚

ほうれん草

 原産地の西アジアから世界に広がり、日本にはアジア育ちの東洋種とヨーロッパ生まれの西洋種が伝来、現在はその交配種が主に流通するようになりました。なんともグローバルな野菜です。
 冬葉ともいわれるように冬野菜の代表で、カロテン豊富な緑黄色野菜の中でもバツグンの栄養価を誇ります。鉄や亜鉛などのミネラルに加えて、ビタミン、葉酸も豊富で貧血予防にも効果あり。根元の部分を切ることがありますが、この部分に貴重な栄養素マンガンが豊富に含まれているので捨ててしまってはもったいない!甘みもあるので一本まるまる食べるのが◎です。
 料理のポイントは、鮮度のよいものを選ぶことと、手早く火を通すこと。茹でるのなら勝負は2分程度です。さっと加熱し、栄養の流出をふせぎましょう。
 馴染み深いほうれん草ですが、この名はもともと中国語で、漢字で書くと「菠薐草」とかなり読みなれない雰囲気。菠薐はネパールやペルシアのことといわれ、中国への伝来の道のりを示しているようです。実は漢方薬でもあり、生薬(しょうやく)としては「菠薐」と書いて「はりょう」と読みます。便秘の薬ともされてきました。

ほうれん草

ほっけ

 冷たい水を好む魚で、日本では太平洋から日本海まで水揚げされますが、有名なのは国内シェア9割と圧倒的な北海道産のホッケ。特に礼文、羅臼、日高で獲れるものは三大ほっけと呼ばれているとか。
 居酒屋のメニューの定番で、皿から溢れるような大振りのものも多く食べられる大衆魚でしたが、ここ数年で国産は激減し価格が高騰。代用魚として、ロシアやアメリカで獲れるシマホッケが使われることが多くなっています。
 ホッケは足のはやい魚で、かつては北海道から消費地までの輸送時間に耐えられず、結果干物が多く出回ることになりました。また寄生虫の危険があるため生食はできません。そんなことから「開く前のホッケをみたことがない」という人も少なくないのではないでしょうか。干物を焼くのが間違いない旨い食べ方ですが、新鮮なものならばムニエルや煮付け、フライにしても美味しくいただけます。北海道にいったらぜひ試してみたい食材です。

真ホッケ

真ホッケ

れんこん

 レンコンの旬は11月から3月の寒い時期で、国内のレンコン生産量50%とダントツのトップを独走する茨城県は、11月17日を「レンコンの日」に制定しました。1994年のこの日、日本全国のレンコン産地の代表が土浦に集結して「レンコンサミット」を開催したのを記念したものです。
 茨城県が擁する霞ヶ浦は湿地で育てるレンコンには最適の環境で、生産量は茨城に軍配があがるというわけ。第2位以下には徳島、佐賀、山口など西日本の県が続きます。
 水の中で育つ根を食用にするというのは野菜の中でもレンコンだけで、実はかなり珍しい食材です。ほどよいねばりは便秘解消や胃腸の保護によく、多く含まれるタンニンにはせき止め効果も。皮ごとすりおろしたレンコンをだし汁で煮立てたレンコンスープは、せきで痛むのどにも負担が少ないオススメの食べ方です。元気になったら、からしのたっぷり詰まった熊本名物からしレンコンで焼酎を一杯。シャキシャキしたきんぴらもおつまみに最高ですね。「見通しがよくなる」ということから、おせち料理に欠かせない縁起物にもなっています。

レンコン

関連項目

参考文献