二十四節気
霜降
露が陰気に結ばれて
霜となりて降るゆゑ也
冷たい露の頃「寒露」を過ぎると、暦の上では霜の季節「霜降」へ。農作物の収穫もひと段落し、ぼちぼち本格的な冬の到来に備える時期がやってきました。異常気象、温暖化が叫ばれるご時世とはいえ、さすがに11月の声を聞く頃にもなると気温はぐっと下がります。夜間の冷え込みも顕著になり、最低気温が2ケタを割り込む日も間近。昼夜の寒暖の差が大きくなったのを感じ取ると、山の木々も一斉に紅葉の準備をはじめます。
七十二候
霜始降
霜が初めて降りる頃。一段と寒くなる冬の夜、気温が0度近くまで冷え込むと空気中の水分がガラスや草木に触れて凍りつき霜となります。農家にとっては汗水たらして育てた作物を一晩でダメにしてしまう恐ろしい存在。無風状態だと空気が動かず霜がつきやすくなるため、扇風機などで風を起こして霜の発生を防止します。11月を霜月というように、霜は今も昔も常に気をもませる厄介ものでした
霎時施
「しぐれときどきほどこす」とも、「こさめときどきふる」とも。霜が降りて、冷たい時雨がしとしと降って…季節はいよいよ冬の入り口へ。芽吹き時期の春時雨、どんよりとした梅雨空を経て夏の夕立、そして秋の長雨「すすき梅雨」と変遷してきた一年の雨も、冬の時雨の次はいよいよ雪へと姿をかえてゆきます。冷たく大地を濡らす冬の雨と雪は厳しいものですが、これが春になると恵みの雪解け水に。豊かな実りへと繋がっていきます。
楓蔦黄
モミジやツタが、黄色に、赤にと装いを変える頃。楓は「色見草」ともいわれ、古くから紅葉を楽しまれてきました。「かえで」というのは、葉の様子がカエルが手を開いたようにみえるから。では「もみじ」は、というと、こちらは植物から色を揉みだして染料にしていた頃の名残。「もみいづ」がなまって「もみじ」になったといわれます。ただしモミジ自体を染物に使ったわけではないのでご注意。秋の雨風に洗われて美しく色を変えてゆく様子が、自然の染物に見えたのでしょうね。
季節のことば
初時雨
降ったり止んだり、上がり時の読めないそぼ降る雨が時雨。初時雨はその年にはじめて降った時雨を指し、冬の季語になっています。「ああ、今年もついに時雨の降る季節になってしまった…」という、どこか憂鬱で、うら寂しい気持ちのこもった言葉です。
横なぐりに吹き付ける時雨は「横時雨」。こんな時雨に体を濡らすと、なんだか心までひんやり、足取りも重くなってしまうというもの。春や夏に多いにわか雨は「驟雨(しゅうう)」といいますが、こちらは木々の芽吹きを助け、緑を映えさせるさわやかな印象。同じ雨でもだいぶ違うものです。多湿多雨の日本では雨の様子にも季節の移り変わりを感じ、数多くの言葉を生み出してきました。
幾霜
幾霜は「いくしも」と読み、何年も霜を受けること。つまりそれだけの年月を重ねたことを表し、何年間もの間という意味になります。言葉としては「幾星霜(いくせいそう)」のほうが一般的ですが、こちらも同様に、何年もの霜、星の回りを過ごした年月ということ。
星座は一年かけて同じ位置に戻ってくるため、年を知る目安になりました。その星とならんで年の巡りを感じさせる代表に選ばれた霜は、昔の人にとってそれだけ印象深いものだったのですね。
またこの言葉は、単純に数学的な年数をあらわすというよりも、たくさんの苦労を重ね、乗り越えてきた年月…といった、人生の重み深みを内に含んでいます。
「生まれて幾星霜、もう中学生になりました」とはあまり言わないですね。「激動の昭和から幾星霜、いまではこんなに幸せな日々を…」というような言い回しにこそしっくりとくるわけです。
団栗
「ドングリの木」というひとつの種類の木があるわけではなく、シイやカシ、コナラなどブナ科の木になる実を総称して「ドングリ」と呼びます。そのためひとくちにドングリといっても、丸いもの、尖ったもの、硬いものと種類はさまざま。特徴の違ったドングリを集めて比べてみるのも面白いこどもの遊びになります。
日本の原生林にはブナ科の木が多かったため、ドングリは古い時代から日本人の貴重な食糧源となっていました。特に縄文人にとって、ドングリはクリやトチノミとならぶ主食級の大切な食べ物。灰を入れたお湯で煮たり、水でさらしたりしてアクを抜いたりと、美味しく食べるための進んだ調理法を持っていました。縄文の遺跡からは、粉にしたドングリを練って作ったクッキーのような食べ物も見つかっています。
この時期の風習や催し
うわじま牛鬼
毎年10月の28、29日、愛媛県宇和島城下の守り神・宇和津彦神社でおこなわれる秋祭りは、巨大な「牛鬼」が現れることでたいへん有名です。
お祭り当日、お神輿に先立って、多くの若者に担がれた牛鬼が街の中を練り歩きます。真っ赤な布で全身を覆った、高さ6メートルにもなる巨大な牛鬼。鬼の頭に牛の体という不気味な姿で、人間の影をなめて命を吸い取るという伝説の妖怪ですが、このお祭りでは街中を歩きながら悪霊を追い払う、怖くてありがたい神様のような存在としてまつり上げられています。
愛媛一帯では古くから牛鬼の伝説があり、宇和島で牛鬼の祭りがおこなわれるようになったのも200年も前のこととされています。
また、宇和島のお殿様といえば、仙台から別れた伊達家の分家。そんなご縁で宇和島の祭りでは東北ゆかりの八ツ鹿踊りなども披露されます。そして交換留学ではないですが、宇和島の牛鬼が仙台のお祭りまで出張にいくこともあるようです。
弥五郎どんまつり
「弥五郎どん」「大人(おおひと)弥五郎」などと呼ばれて、南九州の各地でおこなわれていた弥五郎どんの祭り。5メートルにもなる巨大な人形が登場し、村中を見下ろして歩きます。
弥五郎は、大昔九州南部に住んでいた隼人という一族の酋長で、大和朝廷との戦いで敗れた彼を神さまとしてまつったのが弥五郎どんまつりの始まりといわれます。また、日本にはもっと古いダイダラボッチという巨大な神様の伝説もあり、弥五郎どんもそんな巨人のひとりだったという説も。九州の各地には、弥五郎どんによって作られたという伝説をもつ池や谷も残されています。
現在でも弥五郎どんまつりを続けているのは、鹿児島県曽於市の岩川八幡神社、宮崎県都城市の的野正八幡宮、そして日南市の田之上八幡神社の三ヶ所。それぞれに趣きの違った三体の弥五郎どんは、三兄弟といわれて広く地域の人々に親しまれています。的野正八幡宮の弥五郎どんまつりは、国から記録に残すべき無形文化財としての指定も受けています。
季節の食・野菜・魚
蜜柑
かんきつ類は世界中に100種類以上ともいわれますが、日本を代表するかんきつ類といえばみかんですね。単にみかん、または冬みかん、温州みかんとも呼ばれます。中国から渡ってきたかんきつ類から偶然生まれたものといわれ、「蜜柑」と書くようにその甘さが特長。かんきつ類には珍しく、指で簡単に皮がむけるのも喜ばれるところです。
ビタミンB、カロテン、クエン酸が豊富で、風邪予防、美肌、疲労回復とお得な効能がたっぷり。干した皮は陳皮という漢方薬になり、セキやタンを楽にする効用があるといわれます。
江戸時代には、芝居見物の客が舞台にみかんの皮を投げ入れるという奇妙な習慣がありました。芝居に興奮した客がおもわず俳優に皮を投げつけたのが始まり、ということのようですが、いつの間にかこれが大流行となり、そのうち客席に美人を見つけたら投げつける、女連れの男客にも投げつける…と、芝居小屋じゅうをみかんの皮が飛び交うようになってしまったそう。
きんき
日本では関東以北の寒い海でとれる深海魚。標準和名(正式名称)はキチジですが、市場などではキンキが最も通る名前で、他にもキンキンやメンメ、アカヂなどたくさんの名前をもった魚です。
目がさえるほど美しい真っ赤な皮の下にはたっぷりの脂とゼラチンをたくわえ、煮魚にすると最高。うろことわたをとって洗ったら、切り込みをいれて甘辛く煮込みスタート。10分ほど煮たら身を崩さないように丁寧に盛り付けて、あとは煮汁をかけてご飯と一緒にほおばるだけ。旬のキンキからは、凝縮した旨味があふれだします。同じように煮込むアクアパッツァの主役にもよし、また皮の下のゼラチンを引き立てるため、軽く湯引きして刺身にするのも絶品です。
北海道網走で水揚げされたものは傷も少なく見た目のよい「釣りキンキ」してブランド化され、高級なキンキのなかでも一等上物のとして流通します。
山芋
日本の山中に自生する「自然薯」、ずんと太い「長いも」、げんこつのような形をした「つくねいも」イチョウの葉っぱの形によく似た「やまといも」など、これらはすべて山芋で、品種の数は600にもなるとか。
根にはたっぷりのでんぷんが含まれますが、でんぷんを分解するジアスターゼという酵素も豊富なために生で食べることができます。実はいものなかで生食できるのは山芋だけ。
独特のぬめりはムチンというタンパク質の消化吸収を助ける成分で、食物繊維も豊かでおなかに優しい健康食材。滋養強壮にもいいことから「山のうなぎ」ともいわれ、山いもが川にはいってうなぎになる、という面白い言い伝えもありました。
生で刻んだものはシャクシャクと歯ごたえよく、加熱するとほっくり柔らかい優しい食感へと変わります。すりおろしたトロロをご飯かけてかっこむのも最高ですが、これも加熱するとフワフワの面白い食感に。いろんな食べ方を楽しめば、長い一本もあっという間になくなってしまいますね。
- 新版 美麗写真でつづる 日本の七十二候 晋遊舎
- 二十四節気と七十二候の季節手帖 山下 景子著 成美堂出版