二十四節気
冬至
日南の限りを行て、
日の短きの至りなれば也
一年で一番昼が短くなる日。古代の人々は冬至を太陽の力が最も弱まる日と考え、世界各地で太陽を復活させるための祭が行われていました。古代ローマでは冬至の日の太陽を神様として祭りましたが、この太陽の復活祭がキリスト教に取り込まれて姿を変えたのが、キリストの誕生祭、クリスマスだという説もあります。日本でも、新米を神様に供える新嘗祭は毎年旧暦の11月、つまり冬至の時期に行われ、太陽復活祭の意味があったと考えられています。
冬至には、19年に一度だけ巡ってくる特別な「朔旦冬至(さくたんとうじ)」があります。古い時代には冬至が一年のはじまりの日とされていたのですが、旧暦11月1日と冬至が重なる朔旦冬至は、月と年のはじまりが重なるたいへん珍しくおめでたい日だとされ、かつては国を挙げた祝宴が開かれ、租税の免除なども行われました。最近では1995年、そして2014年が貴重な朔旦冬至にあたります。
七十二候
乃東生
乃東(だいとう)、夏枯草(なつかれくさ)などともよばれるウツボグサが芽を出しはじめる時期。夏至の七十二候「乃東枯(なつかれくさかるる)」に対応したもので、夏場に黒ずんだ花穂を薬用に用いるウツボグサはこの頃芽を出すと考えられました。ウツボグサはイチゴのように出走枝とよばれる茎を地面に這わせ、茎の節から芽や根をだすことで周りに新しい株をつくって繁殖します。
麋角解
「麋」は「なれしか」と読み、家畜化され人に慣れた大型の鹿のこと。トナカイを指すといわれますが、ムースなど大型の鹿類全般にも用いられたようです。
シカ科の角は骨ではなく皮膚が硬く変化し成長するもので、繁殖期を終えると自然と抜け落ちます。自然界では落ちるのを待つ角ですが、奈良では鹿が人に危害を加えたり仲間同士で傷つけあわないよう「角切り」が行われます。伝統的な装束に身を包んだ勢子たちが鹿を追い込み、立派に育った角を切り落とす様子は、奈良に秋の訪れを告げるもの。角を落とされた牡鹿の、つぶれたお団子を二つつけたような頭もかわいらしく見飽きません。
雪下出麦
近年はずいぶん少なくなりましたが、麦は冬場の裏作として多く育てられていました。秋に芽を出して冬を越す越年草の麦は、稲の収穫が終わった十月から十一月頃にかけて田畑に撒かれ、すぐに緑の針のような芽を出します。「雪下出麦」は雪に耐え芽を伸ばす麦の様子をいったもの。寒風に吹かれながらじっと成長の時を待った麦は、年を越えるとずんずん成長し、麦踏みなどを経て春には立派な穂をつけるのです。
季節のことば
晦日
月の満ち欠けを基準とする太陰暦では新月をひと月の始まりとするため、月末月初が最も月の暗い時期になります。見えなくなった月末の月を「月隠(ごも)り」、明るくなり始める月初の月を「月立ち」といい、これが晦日(つごもり)、朔日(ついたち)の語源となりました。
一年最後の晦日を大晦日といいますが、その前日、新暦で十二月三十日は小晦日と呼ばれます。「こみそか」ではなく「こつごもり」と読むのが正式のよう。この日に特に何があるわけでもないのですが、大晦日に慌てないよう前日から名前をつけて年越しの心構えをしたのでしょうか。
大晦日は他に大歳、除日、大晦日の晩は除夜、年の晩、年一夜などと呼ばれ、こちらは一転様々な行事が執り行われることに。一年の最後に入る年の湯、尾頭つきの魚で祝う年取りの食事、かつては眠らずに除夜を明かした守歳、家の外で古い注連縄などを盛大に燃やす年の火といった風習もありました。
初夢
正月1日の晩に見る夢を初夢といっていますが、古くは節分の夜、つまり立春の朝の夢が初夢とされていました。江戸時代には大晦日の晩の夢、明治の世には正月2日に見る夢だと、時代によって初夢の定義はいろいろだったようです。
初夢と言えば一富士二鷹三茄子が代名詞ですが、これは徳川家康ゆかりの駿河の名物を並べたものだとか諸説あり、この後にも扇やたばこなど縁起のよいものが並べられていきます。また、枕元に宝船の絵を忍ばせる風習は室町時代ごろが発祥で、もともとは「福を呼ぶ」という今の考えとは逆で、貧乏神を船に乗せて流すためのまじないだったのだそう。関西では早く廃れていましたが、関東では明治時代まで続き、宝船に「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」という縁起の良い回文を添えた絵を売る宝船売りが正月の夜を賑わせていました。
初茜
茜は山野に自生するつる性の多年草で、根が赤色の染料に用いられました。植物としては秋の季語ですが、「茜さす」と使うと「日」の枕詞に。「初茜」も植物ではなく日光に関連したことばで、よく晴れた元日の暁、東の空が顔を出す直前の初日に染めぬかれる様をあらわしています。
有史以前から太陽を信仰してきた日本人は、初日の出にも特別な愛着を持ってきました。初日の出を拝むため名所に出かける伝統も古くからのもので、伊勢の二見ヶ浦、東京神田明神の境内や芝高輪の海辺などは元旦には人が押しかけたといいます。
21世紀になってもこの風習は健在。インターネットをのぞけば初日の出スポットを紹介するサイトがたくさん開設されています。水平線からの初日の出、山の稜線にかかる初日の出、最近では高層建築の展望台から眺める初日など、豊かな自然とテクノロジーのマッチした現代は最高の初日の出参拝環境なのかもしれません。
この時期の風習や催し
柚子湯
冬至の夜、お風呂にぷかぷか柚子を浮かべる柚子湯の風習。見た目にも楽しく、芳しい香りに気持ちもゆったり癒されます。事実、柚子の芳香油(エッセンシャルオイル)は揮発性のため、お湯に溶けだすことでよりリラックス効果を高めているのだとか。さらに芳香油には肌荒れを防ぐ効果もあり、果汁から溶け出すビタミン類も美容効果抜群。最近は温泉での露天風呂柚子湯サービスなども増え、目にも肌にも心にも優しいイベントになっています。
効能満点の柚子湯がいつ始まったのかははっきりしませんが、湯船に浸かる習慣が定着した江戸時代の銭湯で既に柚子湯が行われていたことが知られています。「柚子」と「融通」の語呂合わせから縁起もよいとされ、戦前の東京では冬至の日どこの銭湯にも『今明両日ゆず湯』と書いたビラが貼りだされていました。
歳の市
新年を迎えるにあたり、神棚の注連縄を付け替えたり正月の飾り物を用立てたりと、歳末はなにかと入り用なもの。そうした新年の必需品を商うために立ったのが歳の市です。門松や破魔弓といった正月飾りの定番から、鏡餅、おせちの具まで取りそろえ、おおむね十二月の下旬から方々に市が立ちはじめました。最もにぎわい、最古の年の市ともいわれるのが浅草観音市。江戸時代にはこのためにわざわざ田舎から馬を引いて上京する人もあったとか。
そのほか、深川八幡、神田明神、芝明神、芝愛宕、麹町平河天神の年の市をあわせて江戸の六大市と呼びました。年の市の締めくくりは日本橋の薬研堀不動院。十二月二十九日まで続き、納めの年の市として重宝されていました。
除夜の鐘
これを聞かないと一年終わった気がしない、という人も多いのではないでしょうか。夜闇に染み入るようにゆったり間を取って撞かれる108回の鐘の音は、誰もがもつ108の煩悩の迷いを覚ますものだとされています。
鐘や鈴の音色が不浄を鎮めるという考えは人類共通のもので、日本でも古来神聖な儀式には清浄な音が求められていました。平安時代、天皇の出御の前に鈴が鳴らされる習慣があったのも、こうした音のもつ浄化の作用を求めてのこと。梵鐘についている特徴的な突起「乳」の起源も、数千年前、中国青銅器時代の魔除け紋「饕餮文」にまで遡る可能性も考えられています。
日本三名鐘として名高いのは神護寺、三井寺、平等院、日本三大梵鐘は東大寺、方広寺、知恩院。また妙心寺の最古の梵鐘に、東では建長寺、円覚寺、常楽寺の鎌倉三名鐘など、第二次大戦下の金属供出をくぐりぬけた名鐘は各地の名刹で歴史の重みを含んだ音を響かせています。
初詣
初詣参拝者数ランキングでほぼ毎年トップ3をキープしているのが、明治神宮、成田山と川崎大師。いずれも300万人を超えていますから、仮に一人が5円ずつお賽銭を投げたとして…などと考えていては授かる福も授かりません。
正月の社寺詣には、「恵方詣」といわれるその年の恵方(縁起がよいとされる方角)にある社寺に参詣するものと、それぞれの社寺の最初の祭日や縁日にお参りするもの、特にこだわりなく人気の社寺に出向く3つのパターンがありました。いま初詣といえば三番目のものですが、人気の社寺にこれほど人が殺到するようになったのは明治以降で、乗客数アップを狙った鉄道各社が自社の沿線にある社寺への参拝を盛んに勧めたのがきっかけだとされています。「初詣」という言葉自体がメジャーになったのもこの頃のようで、古い伝統と感じるもののなかにも意外に新しいものがまぎれているものですね。
季節の食・野菜・魚
南瓜
「だいこん」「うどん」など「ん」のつく食べ物を冬至に食べるとよいというのは、「ん盛り」と「運盛り」をかけた験担ぎ。かぼちゃの関西での呼び名「なんきん」には「ん」がふたつも入っているのでより結構とされ、冬至にかぼちゃという風習が広まりました。現在流通しているかぼちゃは大きく日本かぼちゃ、西洋かぼちゃ、ペポかぼちゃの三種に分けられます。品種によって味も形もさまざまで、キュウリのような見た目のズッキーニも実はかぼちゃの仲間。
野菜の中でもトップクラスの栄養価の高さを誇るかぼちゃですが、特にビタミンEは血行を促進し体を温めてくれるため、冬場の冷え性緩和に効果あり。昔の人は経験からこのことを知っていたのかもしれませんね。
年越し蕎麦
細く長くという縁起担ぎで食べられるようになったとされる年越しそば。うどんが主流の関西でも「年越しうどん」とはならないようで、これはそばが他の麺類にくらべ切れやすいことから、厄を切るという意味もあってのことだとか。年末に限らず、蕎麦は江戸の街では冬の夜の食べ物として喜ばれ、夜遅くまで屋台を引いて蕎麦を売り歩く「夜鷹蕎麦」は落語にもしばしば登場します。
作物としての蕎麦は、夏に種を蒔き秋の遅くに収穫されるのが一般的。手をかけなくても育つため、最近では耕作放棄された水田を大々的に蕎麦畑に転用する地域もみられます。真っ赤な茎の上一面に白い小さな花が咲く様子はコントラストも鮮やかながら、どこか鄙びた風情もある心安らぐ景色です。
百合根
長く百合に親しんできた日本では、花を楽しむだけでなく球根も食用として重宝してきました。ほんのりした甘みのなかに独特な苦みももつ大人の味といった食材で、滋養強壮効果もあるといわれ京料理によく使われます。
なかでも、ゆでた百合根を丁寧に裏ごしし、まあるく仕立てた百合根まんじゅうは、白くはんなりした姿がお正月の食卓にぴったりの一品。仕込みにも一手間がいりますが、栽培にもたいへん手のかかる食材で、出荷できる大きさに育てるまでには4〜6年も必要。さらに連作障害を避けるため同じ畑では10年は間をあけないといけないなど、一玉一玉がまさに「珠玉」のありがたい食べ物なのです。
雑煮
もとは年越しの夜に神様に供えた食材をおさがりとして頂き、雑多に煮込んだ汁物で、文字通りの「雑煮」でしたが、正月の縁起物として入れられる食材にもおめでたい意味が込められるようになりました。関東では四角い切り餅、関西は丸餅が一般的とされますが、餅は煮るのか焼いて入れるか、汁はすましか味噌仕立てか、はたまた小豆汁、などなど、地域によって伝統はさまざまで、一概に分けられない文化差の豊かな料理となっています。
お雑煮では箸も縁起をかつぎ、祝い箸とよばれる柳を丸く削った太箸で食べるのがよいとされます。武家では箸が折れることは落馬の暗示とされたため、折れにくい箸が好まれたのが発祥だとか。
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