芸術に、スポーツにとイベントごとに事欠かない秋ですが、お月見などの伝統文化もまた盛りだくさん。
古くから続くものから最新の風物詩まで、秋の年中行事をご紹介いたします。
菊のお祭り「重陽の節句」
旧暦9月は別名「菊月」 重陽の節句と菊の花
9月の別名というと「長月」が有名ですが、この他に「菊月」という呼び方もあります。
菊の咲く季節だからということもありますが、9月に「菊の節句」があることもその理由のひとつ。
今でこそ端午の節句(5月5日)や七夕(7月7日)にくらべてマイナーになってしまいましたが、かつては節句の中でも一番縁起のよい日とされたのが9月9日の「重陽の節句」、別名「菊の節句」でした。
9は一ケタの奇数の中で最大の数であり、また九が重なる「重九(ちょうきゅう)」と、長く続くという意味の「長久」が同じ音だったことも喜ばれ、宮中などでは盛大な祝宴が開かれました。
菊は美しいだけでなく、食べると長寿の効能があるとも信じられ、この日に菊の花を杯に浮かべて飲む「菊酒」という習慣もありました。こちらも菊の節句同様今ではあまり行われなくなってしまいましたが、菊酒の名残は花札の9月の絵柄「菊に杯」などにも見ることができます。
菊で健康長寿? 菊にまつわる長寿伝説
菊に健康長寿の効能があるという伝承は、菊が丈夫な花で、切り花にしてからも長持ちすることなどから生まれたものだと考えられています。中国には、菊からしたたる露を飲んで、子どもの姿のまま800歳以上の寿命を得たという「菊慈童」の伝説も残されています。
菊の効能は必ずしも伝説ばかりではなく、漢方では実際に解熱や解毒、抗炎症の効能のある薬草として用いられてきました。近年では科学的な成分調査からも、菊に解毒の作用があることが確かめられています。
身近なところでは、刺身のツマにちいさな食用菊の花が添えられているのを見たことがありませんか?これも単なる彩りではなく、菊の花が持っているという殺菌、抗菌の効果を期待したものだといわれています。
重陽の節句の日に菊の花の上にひとつまみの綿をおき、そこに染み込んだ朝露で体を拭って長寿を願う「菊の着綿」という風習もありました。紫式部や清少納言の日記にも、菊の着せ綿を楽しんでいた様子が描かれています。
また重陽の日に摘んだ菊の花を陰干しして枕に詰めた「菊枕」には、邪気を払い、頭や目を清々しくさせる効果があると信じられていました。お年寄りへの贈り物などに珍重されたといいますが、ほんのりと菊の香りが残り、頭を冷やす作用もある菊枕には安眠の効果があり、実用性も十分だったようです。
菊の行事や風習あれこれ
菊の節句の前後には、今も菊に関わる多くの行事がおこなわれています。
「菊供養」
毎年東京・浅草寺でおこなわれる菊の花の供養会。参詣した人は菊の花を持って浅草寺のご仏前に供え、すでにお供えしてある菊を代わりにもらって帰ります。交換した菊の花には、厄除けや無病息災のご利益があるといわれ、この花で「菊枕」をつくるのもよいとか。明治時代から重陽の節句の行事としてはじまりましたが、戦後には毎年10月18日とされました。
「菊花展」
この時期、各地の公園や神社、お寺で開催される秋の風物詩。
関東で最も伝統ある菊花展は茨城県笠間の菊祭りで、初開催は明治41年、100年を超える歴史を持っています。笠間稲荷神社が戦没者の慰霊のためにとはじめたのがきっかけで、今でも1万鉢ともいわれる数多くの大輪の菊が境内を彩ります。
日比谷公園でおこなわれる菊花展も大正時代から続く老舗級。質・量ともトップクラスという名品が約2000点も展示され、秋の日比谷公園に文字通り華を添えます。
ただ、昨今は菊愛好家の減少や高齢化などで長い歴史に幕を降ろす菊花展も出てきています。江戸時代から続く菊栽培の伝統も、時代の流れには苦戦気味のよう。
「菊人形」
これも今はほとんど見かけなくなりましたが、等身大の人形に菊の花の服を着させた「菊人形」は、昔は東京名物といわれるほど一斉を風靡したものでした。幕末の頃、東京は団子坂の菊細工職人が創作したのがはじまり。首から下を菊の花で覆いつくした不思議な人形の姿は、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを残します。
幕末に大流行しながら明治時代にはずいぶん寂れてしまったようですが、現在でも笠間の菊祭り、福島県の「二本松の菊人形」などで伝統の技を見ることができます。
菊の行事や風習あれこれ
「流れ星」は秋の季語 夜長を彩る秋の流星群
和歌の世界では、「流星」は秋(8〜11月頃)の季語。近年では流星群の到来がニューストピックスになることも多く、あらためて風物詩として定着してきた感もあります。
流星のもとになるのは宇宙を漂う小さなチリですが、彗星の軌道上にはこうしたチリが比較的高い密度で存在しています。この軌道を地球が通過すると、他のポイントよりもはるかに多くのチリが大気中に降り注ぐことに。これが「流星群」で、流星がやってくるように見える位置にある星座の名前をとって「◯◯座流星群」と呼ばれます。
秋の流星群としては、「オリオン座流星群」と「しし座流星群」が特に有名です。
「オリオン座流星群」
毎年10月の中〜下旬にかけてみられるもので、チリのもとになっているのはハレー彗星。1時間に20前後の流星を観測することができる規模の大きな流星群です。
観測のピークを迎えるのは10月21、22日頃で、クライマックスは深夜〜明け方。当日は先に仮眠して体調を整えておくのがベストですね。オリオン座自体もとてもきれいな星座なので、あわせて眺めていたらあっという間に朝が来てしまうかも。
「しし座流星群」
11月下旬にみられるしし座流星群は、最も見応えのある流星群のひとつとして有名で、2001年には1時間に1000個(3〜4秒に1個!)という壮大な星の雨を降らせています。
33年周期で増減することも特徴で、しばらくは2001年のような大規模な観測はできないとされています。ちなみに1時間に1000もの流星がみられると、「流星雨」「流星嵐」などと表現することもあります。1833年のしし座流星群は1時間に5万個(1秒間に14個!!)というものすごい数の流星がみられたとも。まさに流星の嵐といった景色だったでしょうね。
こんなにある月夜の呼び名 日本の「月待」信仰
旧暦8月の15日といえば中秋の名月、いわゆる「十五夜のお月さま」。昔の人はお月見をとても楽しみにしていたようで、十五夜前後の月夜にもたくさんの名前をつけていました。
・待宵(まつよい):旧暦8月14日の月夜。十五夜の前日で「月を待つ夜」の意味。
・十六夜(いざよい):16日の月夜。十五夜より遅れて出るので、「いざよう(ためらうこと)月」。
・立待(たちまち):17日の月夜。月の出を立って待ちわびることから。
・居待(いまち):18日の月夜。月の出も遅くなり、家の中に居てのんびり待つため。
・寝待(ねまち):19日の月夜。すっかり遅くなった月の出を寝転んで窓から眺める頃。
・更待(ふけまち):20日の月夜。夜更けになってしまった月の出を待つ夜。
年に一度の名月を待ちわび、名残を惜しむ様子が伝わって来るようです。
また十五夜には芋を供えて月見をしたことから「芋名月」という呼び方もありました。そして一ヶ月後の旧暦9月の満月にも月見をし、こちらは豆や栗を供えるので「豆名月」「栗名月」。これもまた素朴であたたかい名前ですね。
お月見にまつわる風習
お月見は中秋の名月だけでなく一ヶ月後の豆名月にも行うもので、どちらか片方だけの月見は「片月見」といって逆に縁起が悪いものとされていました。また長野県の一部ではこの二夜にあわせて旧暦10月10日の「十日夜(とおかんや)」にも月見をし「三月見」といいました。もしもこの3日間全てが晴れにあたって綺麗なお月さまがみられると、よいことがあるのだとか。一度チャレンジしてみたいですね。
中秋の名月には、「中秋綱引き」という面白い習慣もありました。いまも九州地方に残っていて、8月15日には公園などで綱引き大会が行われます。もとは勝ち負けによって作物の豊作を占う農村の行事だったよう。
また、日本には人々が集まって月の出を待ち、そのまま夜通し歓談して朝まで過ごす「月待」という信仰がありました。欠けても再び満ちる月は生命力の象徴とされ、月待は子育てや安産にご利益があると信じられていました。十三夜、十五夜、十九夜、二十三夜など特定の月夜が「月待」の晩とされました。
秋の風
秋風の名前
台風を筆頭に、収穫の季節に吹く秋の風は農家にとっては最も気になる存在でした。そんな気持ちを反映するように、秋の風にはたくさんの名前がつけられています。
「野分(のわき)」
台風の古語。野の草木を押し分けて吹き荒れる風という意味ですが、どこか風流な響きにも聞こえてしまいます。台風という言葉は近代になって使われるようになったもので、英語のtyphoonに漢字を当てたものだといわれます。また台湾方面から吹いてくるため「台」の字を当てたという説も。
「色なき風」
秋の風全般をあらわすことば。中国では、春は青(青春)など季節ごとに色をあてはめる考えがあり、秋の色は白(白秋)。ここから秋に吹く風は白い風、つまり「色なき風」だといわれるようになりました。同時に、色がないというのは華やかさがない、秋の寂しさも表しています。
「盆東風(ぼんごち)」
旧暦のお盆の頃に吹く東寄りの風。伊豆地方などの漁師のことばで、この風が吹いてくると気温がさがり、残暑も終わって本格的な秋がやってくる前触れとされていました。
「木枯らし(こがらし)」
その名の通り、葉を吹き飛ばし裸の枯れ木にしてしまう冬の強風。気象庁の定義では晩秋から初冬の頃に吹く秒速8メートル以上の北寄りの風とされています。木枯らし1号が発表されるといよいよ秋も最終盤。「凩」という漢字はこの風を表すためだけに作られた日本オリジナルのものです。
秋の風にまつわる風習
収穫シーズンの大風は農家の大敵。この時期には各地で風を鎮めるためのお祭りが行われていました。
一番有名なのは「二百十日」で、立春から数えて210日目にあたるこの日は必ず大風の吹く農業の厄日だとされ、この前後に風鎮めのお祭りをする風習が残されています。高い竿の頂点に鎌を結わえて風を払う「風切鎌」というまじないも全国にみられました。
毎年9月1〜3日にかけて開催される富山県八尾の「おわら風の盆」も、二百十日の風の神様を鎮めるお祭り。江戸の中頃に始まったもので、この3日間だけはどんなに騒いでもおとがめなし、笛太鼓、三味線を鳴らしてにぎやかに踊り明かしてよい特別な日とされていました。
現在も、豊年踊り、男踊り、女踊りというそれぞれに特徴のある踊り手が街を練り歩き、3日間で20万人以上の観光客を集める秋の北陸有数のイベントとなっています。
二百十日の前後に行われる風の神様のお祭りとしては、新潟県の弥彦神社、兵庫県の伊和神社のものなどが有名です。
ハロウィン
ハロウィン、そもそも何のお祭り? 日本に定着したわけは?
キリスト教では、11月1日を「諸聖人の祝日」という全ての聖人を記念する大切な祝日にしています。その前日、10月31日に行われるのが「ハロウィン」で、その起源はキリスト教よりもさらに古い古代ケルトの収穫祭だといわれます。
こどもたちが「Trick or Treat」と家々をまわってお菓子をおねだりする風習は、ハロウィンがイギリス(特にアイルランドやスコットランド)からアメリカに伝わってから盛んになりました。かぼちゃで作る有名な「ジャック・オー・ランタン」も、ヨーロッパではカブで作るのが一般的で、仮装する風習もアメリカで盛り上がったもの。
このように、ハロウィンは「ヨーロッパ生まれ、アメリカ育ち」のイベントといえるでしょう。
この数年で、日本でもすっかり秋の風物詩として市民権を得た様子のハロウィン。そのきっかけは、遊園地などのアミューズメントパークがはじめたハロウィンイベントだといわれます。経済効果もあれよあれよと急成長して、2015年にはバレンタイン商戦の総額をも上回りました。若者を中心に、今後もますます盛り上がりを見せそうです。
ハロウィンがあっという間に定着した理由としてあげられるのが、SNSの流行。思い思いに仮装して写真をとり画像を共有、みんなで盛り上がれるイベントとして認知されたようです。
最近はアニメやコミックのイベントでコスプレが注目されるなど、仮装自体に抵抗がなくなり、むしろ一度くらい「自分もやってみたい」と思われていた…という面もあったのかも。仮装した若者が集まる渋谷は警察が出動するほどの大混雑になり、今後も数年は混乱が続くのかもしれません。
むかしからあった和製ハロウィン行事?
「仮装して家を訪ねてお菓子をもらう」、なんて斬新なイベント!
…と思われるかもしれませんが、実は日本にもハロウィンによく似たイベントがありました。
そんな伝統的な「和製ハロウィン」をいくつかご紹介します。
「亥の子」
旧暦10月の亥の日に行われる、こどもたちが主役の行事。手に手に「藁づと」や石をもったこどもたちが民家をまわり、歌や唱え言葉を口にしながら餅やお菓子、駄賃などをもらって歩きます。
ちゃんとお菓子をくれた家では、手にした道具で地面をついて悪霊払いのまじないをしますが、もしも何もあげないと逆に「貧乏せえ」とこわいまじないをかけられてしまうというもので、主に西日本にさかんに行われました。
ハロウィンの「いたずら」よりも、貧乏のほうがよっぽど恐ろしいですね…。
「十日夜」
亥の子の東日本版のような行事で、旧暦10月10日の夜、太く編んだワラの縄をもったこどもたちが「モグラ除け」にと地面を叩いて回ります。縁起のよい唱え言葉を口にしながら家々の庭や門口を叩き、家ではお礼に餅や駄賃を配りました。「モグラ追い」と呼ぶ地域もあります。
「節分おばけ」
関西方面で節分の夜に行われていたというもので、男性は女性に、老人はこどもに…と、いつもとは正反対のかっこうに仮装して神社やお寺にお参りした風習。一見楽しいイベントのようですが、普段と全く違うかっこうをすることで、節分の鬼や悪霊たちの目をごまかすという信仰的な意味もあったといわれます。
戦前には廃れてしまいましたが、近年ふたたび観光&仮装イベントとして京都や東京吉原などで開催されるようになっています。
いかがでしょうか?日本人にはもともと「ハロウィン」を抵抗なく受け入れる素地があったのかもしれませんね。