Column

夏特集

お盆と花火

ニッポンの夏の風物詩、お盆の行事と花火大会。
そもそも「お盆」ってなに?お盆と花火の意外な関係とは?
ふだんあまり気にしないお盆のアレコレを知って、この夏をより楽しく過ごしてみませんか?

お盆の由来

お盆の歴史

 ニッポンの夏の風物詩というイメージのお盆ですが、その起源は日本を遠く離れてインドにまで遡ることができます。
 今から2600年ほど前のインドに、目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。お釈迦さまの高弟で、弟子たちのなかでも「神通第一」といわれる最強の神通力=超能力を持っていたと言われる人物です。
 あるとき目連尊者がその超能力で死後の世界を透視すると、「餓鬼道」という世界に落ちて、飢えと渇きに苦しむ母親の姿を見つけてしまいます。尊者は餓鬼になってしまった母親に食べ物を供えて祈りを捧げ、その魂を弔いました。これが施餓鬼供養(せがきくよう)といわれる行事の発祥で、ご先祖さまに供物を捧げる「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、つまり「お盆」のはじまりだと言われています。

 …とはいっても、これはあくまで伝説上のお話。もともとは仏教以前の古い時代からあった農耕儀礼に仏教の供養行事がミックスされて、それが中国に伝わって道教の思想が組み込まれ、やがて日本に入って古来の先祖信仰と一緒になって出来上がったのが日本のお盆行事だといわれます。さらに語源の研究では、古代ペルシア語で霊魂を表す「ウルヴァン」という言葉が「盂蘭盆(うらぼん)」に関係があるのではないかという説が唱えられています。
 ペルシアからインド、中国、日本…と、お盆はシルクロードの国々を伝わってきた国際色豊かな行事だったんですね。

日本のお盆のはじまり

 日本でお盆の行事がおこなわれた最初は、推古天皇の時代、西暦600年頃とされます。
 その後西暦657年、斉明天皇の時代に奈良の飛鳥寺(元興寺)で盂蘭盆会がはじめて催され、仏教の信仰あつかった聖武天皇の時代(奈良時代)以降制度化されて平安時代には盛大な盂蘭盆会が行われるようになりました。
 武士の時代になってもお盆の行事は盛んで、江戸時代の徳川将軍はお盆の期間中、朝と晩の二度、ご先祖様にあたる歴代将軍への礼拝を行っていたといいます。庶民の間でも、仏教の先祖供養と昔からあった豊作祈願の行事が次第にまとまって、お正月とならぶ大切な時期として定着していきました。

お盆の日程は?

 現在のお盆は8月の13日〜16日とするのが多数派ですが、東京など一部の地域では7月13日〜16日がお盆期間となっています。
 もともとは一年の下半期スタートにあたる旧暦7月がお盆の時期だったのですが、明治時代以降地方では月遅れの盆といって旧暦7月にあたる新暦の8月をお盆の時期としたところが多かったのに対して、東京では新暦でも7月をお盆としたことによります。
 お盆期間も地方によってまちまちで、15、16の二日間だけとする地域や、17日までをお盆としたり、八朔盆といって8月1日をお盆の終わりと考えるところもあったりしました。

お盆がお休みになるのは?

 企業の夏休みは8月のお盆を中心に取られることが多いですが、これは昔からお盆が正月とならぶ二大休暇シーズンだったことによります。
 毎年1月と7月の16日は「薮入り(やぶいり)」といって、地獄の閻魔さまの縁日。恐ろしい鬼たちもこの日ばかりはお休みで、釜茹での釜も火を落として「地獄の釜もひらく日」といわれました。
 というわけで、人間たちも仕事を休んでのんびりしようと、奉公人は暇をもらって実家に帰ったり、仲間と遊びにでたりとおおいに羽を伸ばしました。この風習が明治以降にも引き継がれて、現在のお盆休みとなっていきました。
 薮入りは本来お嫁さんが里帰りする日だったともいわれます。お盆に休みを取って帰省するというのは、そんな伝統にも見合っているのかもしれません。

お盆の風習

盆踊りの歴史

 盆踊りといえば、音頭にあわせてやぐらの周りをぐるぐると回るのが一般的ですが、このスタイルが定着したのは「◯◯音頭」が各地で盛んに作られるようになった大正・昭和からのこと。それまでの盆踊りは地域によってさまざまで、いくつかのルーツがあると考えられています。
 ひとつは輪を作らない行列タイプの盆踊り。楽器を鳴らして村の家々を巡りながら村境まで踊りを続けるもので、お盆に訪れたご先祖さまの魂を迷わずに村の外まで送り出すためのものでした。同時に、村に入り込んでしまった悪い霊を外に追い払うという意味もあったようです。この行列タイプが進化して生まれたのが、おなじみの阿波踊りです。ちょっと意外ですが、阿波踊りも盆踊りの一種だったんですね。

盆踊り

 もうひとつのルーツが平安時代に生まれた「念仏踊り」という仏教の踊り。手に持った太鼓などを叩きながら輪になって踊り騒ぐもので、鎌倉時代には民衆たちの間で爆発的なブームになりました。念仏踊りには死者の霊を慰めるという意味もあり、お盆の先祖供養と一体化して今の輪踊り型の盆踊りの基礎になっていきました。
 ところで、江戸時代から明治にかけて、盆踊りは「風紀を乱す」という理由で何度も禁止令が出されています。というのも、盆踊りは厳かな供養の場というだけでなく、男女の出会いの場、それも「一夜限りのお相手」を探す庶民のお楽しみの場でもあったからです。今とは価値観や倫理観の違う時代のことではありますが、これまた意外な盆踊りの一面ですね。

お盆と精霊流し

 長崎のお盆行事として有名な精霊(しょうろう)流し。灯篭を灯し、供物を満載した精霊船が町内を練り、最後は川に流されます。お盆に帰ってきたご先祖様は、この精霊船に乗ってあの世とこの世を行き来すると考えられました。送り舟などともいって、長崎以外でも九州や中国、関東地方など日本各地に広くみられるお盆の風物詩です。

善光寺の灯籠流し

善光寺の灯籠流し

 ご先祖様の乗り物としては、きゅうりとなすで作る精霊馬(しょうりょうば)も有名ですね。きゅうりで作ったものが馬で、なすのものが牛。馬は足が速いので、ご先祖様に少しでも早く帰ってきてもらうために迎え盆に、ゆっくりの牛は逆に送り盆に使ってもらうのだといわれています。
 また、ご先祖様はトンボの背中に乗って帰ってくるので、お盆にトンボをつかまえてはいけないという言い伝えもあります。ご先祖様もTPOによって、陸・海・空さまざまな交通手段(?)を使い分けているのでしょうか。

精霊馬

精霊馬

 さて、精霊流しから発展して生まれたのが、これもおなじみの灯篭流しです。手のひらサイズの小さな舟に灯篭を乗せて川に流すもので、夕暮れから夜の闇の中を下っていく幾筋もの灯篭の光はとても幻想的。海沿いの地域だけでなく、長野県などの山国でも行われています。
 この灯篭のようにお盆に焚かれる火は「精霊火」といわれ、ご先祖様の送迎の目印とされました。迎え盆にお墓の前で焚き火をしたり、花火をする風習のある地域もあります。灯篭のあかりは、魂を導く誘導灯の役割というわけです。
 これがビッグスケールになったのが、京都五山の送り火、通称大文字焼き。8月16日の夜、京都盆地を囲むように浮かび上がる5つの文字が京都のお盆のフィナーレを飾ります。送り火というように、この火はご先祖様、京都の方言でお精霊(しょらい)さんを彼岸に送り届けるためのもの。
 精霊流し、盆灯籠、大文字焼き…。一見似ていないようでいて、実は兄弟のように近しいお盆行事だったのです

五山送り火

お墓まいりの作法あれこれ

 お盆といえばお墓まいり。せっかく心をこめてお参りをしたのに、逆にご先祖様に失礼なことをしてしまった…なんてことのないように、基本的なルールを再確認しておきましょう。

ろうそくやお線香を吹き消すのはNG

 お墓参りに限らないのですが、お仏壇など仏前に供えるろうそくやお線香を息を吹きかけて消すのは失礼な行為といわれます。手であおぐなどして消すのが◎。火事にならないように、お参りがすんだらきちんと消して帰るのもマナーです。

お供えは持ち帰る

 いったんお墓に供えたお菓子や果物を持ち帰るのに抵抗のある方もいますが、最近はカラスや野良猫などに荒らされてしまう食べ物を供えたままにすることを断る墓地も増えています。お供えを持ち帰るのは縁起の悪いことではなく、逆に仏様にお供えしたものは「御供(ごくう)」といわれる縁起物になります。おさがりをいただいて、ご先祖様にもよろこんでもらいましょう。

墓石に水をかけるのは?

 お墓参りの際に、墓石に水をかけるか、かけないか。いつ頃からかインターネットなどを中心に議論になっているようです。かける派は掃除のため、かけない派は「人に水をかけるのと同じで失礼」という意見が多数。結論からいえば「お参りする方の気持ち次第」というところでしょうが、石もわずかに水を吸うので、劣化につながることもあります。水をかけたら墓石の上にはたまらないように注意するとよりベターかもしれません。

お花の種類は?

 仏前にお供えする花というと菊が代表的ですが、これは日持ちがして花粉もつかず、枯れても見苦しく花びらが散らないからといわれます。故人の好きだった花を捧げるのもよい選択ですが、ただ、お盆に限らずヒガンバナなど毒のある花はお供えにはNGです。きれいだからと即決せずにちょっと確認を。生花店で売っているものならば間違いはないでしょう。

お盆と花火の意外な関係

 日本の夏の夜といえば、花火大会!この季節、週末ともなれば全国各地で花火大会が催されています。なぜ花火は夏なのでしょう?そこには花火とお盆の意外な関係が隠されているようです。

 日本最古の花火大会のひとつといわれる隅田川花火大会。江戸時代には両国の川開きといわれ、江戸ッ子は船や橋の上に繰り出して涼しげな花火を楽しみました。隅田川の川開きで花火が打ち上げられるようになったのは、約300年前、徳川吉宗が将軍だった享保18年(1733)のこと。この前年、日本は記録的な大飢饉に襲われ、全国で100万人近くの人が亡くなっていました。吉宗はこの人々の慰霊と悪病を鎮めるために祭りを行い、施餓鬼のために花火を打ち上げさせたのが川開きの花火のはじまりです。
 花火大会は、死者の魂を慰めるためにはじめられたものでした。この年以降、川開きの5月28日から8月28日までの3ヶ月間、隅田川では毎日のように花火が打ち上げられるようになりました。それは納涼のための花火でもあり、おおもとは慰霊のための花火だったのです。

隅田川花火大会

 また、お盆にはご先祖様の送り迎えの目印に焚き火をする「精霊火」という風習があります。花火大会がお盆前後の夏に多く催されるようになったのは、この先祖供養の風習と花火が結び付いたことも一因となっているようです。単純に「納涼のため」や、「夏休みで集客が見込めるから」というだけではなかったんですね。
 より身近なところでは、お墓の前での迎え火、送り火といっしょに花火をするという地域が、全国各地に意外に多く広がっています。「お墓で花火!?」と感じる方もいると思いますが、お墓での花火が一定数受け入れられた下地には、花火と慰霊の関係があったのかもしれません。「お墓で花火」が全国一さかんだという長崎県では、花火どころか爆竹まで鳴らして盛大にご先祖様をお迎えするのだとか!

撮りたい!ニッポン各地の花火大会

諏訪湖上花火大会(長野県)

 40000発もの花火が打ち上がる全国最大級の花火大会。
 湖の上だからこそ可能な全長2000メートルもの大ナイアガラは圧巻で、水上スターマインや、湖に映る「逆さ花火」もここならではの見どころに。
 また毎年花火大会の半月ほど後に催される「新作花火大会」も人気。
 2015年の開催は8月15日。新作花火大会は9月1日。

なにわ淀川花火大会(大阪府)

 地元を愛するボランティアスタッフによって運営され、費用もすべて寄付でまかなわれている珍しい花火大会。
 「平成淀川花火大会」として平成元年にスタートし、約30年で大阪を代表する花火大会となりました。
 打ち上げ数は約20000発で、関西圏を中心に50万人以上の人出を集めます。
 2015年の開催は8月8日。

東京湾大華火会(東京都)

 東京湾の夏の風物詩。普通の花火とは一味ちがった芸術玉が人気で、動員人数は全国の花火大会でもトップクラスの70万人。
 会場で見るにはチケットが必要ですが、レインボーブリッジと花火のコラボは必見の価値あり。
 東京湾近郊のホテルや、遊覧船から花火を眺めるのも人気プランになっているようです。
 2015年の開催は8月8日。

アジアポートフェスティバル in KANMON 関門海峡花火大会

 関門海峡を挟んで、山口県下関と福岡県門司の両岸で開催される珍しい花火大会。
 両県あわせて115万人もの観客が押し寄せる西日本エリア最大規模の花火大会です。
下関側、門司側から競い合うように合計15000発の花火が打ち上がり、お盆の海が鮮やかに彩られます。
 2015年の開催は8月13日。