二十四節気
清明
万物発して清浄明潔なれば、
此芽は何の草としれる也
清明は万物が清々しくなる時期。日増しに暖かくなる陽気に、気分もさわやかに晴れ渡るよう。
中国では「清明節」といわれ、お墓の掃除をする日とされました。日本のお盆のようなものですが、沖縄では「シーミー」といって清明の頃にお墓の前でご先祖様の供養をする習慣が残っています。
沖縄のお墓は亀甲墓という独特のかたちで、お墓の前もずいぶん広くできています。親戚一同が集まって掃除を済ませたら、ここにシートを広げてまるでピクニックのようにお重を広げて乾杯!
ご先祖さまもどうぞ一杯…と、からっと明るい南国の空気が伝わってくる面白いお参りスタイルですね。
七十二候
玄鳥至
ツバメが日本に渡ってくる頃。ある時期だけを過ごし、またいなくなってしまう渡り鳥は昔から人の興味をそそる存在だったようで、ツバメの冬の暮らしもいろいろに想像されていました。ギリシャの哲学者アリストテレスは「ツバメは冬場は土の中で寒さをしのぐ」と考え、ヨーロッパでは19世紀まで冬のツバメは魚と一緒に海の中を泳いでいると信じている人もいたとか。
実際には、ツバメは冬の間は暖かい土地で寒さをしのいでいます。日本のツバメは、調査によれば半月で2000キロの距離を飛び東南アジアまで渡っていくのだそうで、あの小さな体のどこにそんなパワーが…と尊敬してしまいます。
鴻雁北
雁が北へ帰っていく時期。冬の渡り鳥であるガンは、冬場を日本で避寒し、暖かくなった春、北の大地へ戻っていきます。
春の季語に「雁風呂」という津軽地方に残る伝承があります。津軽では、ガンは渡りのあいだは波間に浮かべた枝にとまって眠るため、その枝をくちばしにくわえて飛ぶのだとされていました。日本につくとその枝を波打ち際に置いておき、やがて日本を離れるときにはまた同じ枝をくわえて帰ってゆく、つまり浜辺に残された枝の数だけ、日本で狩られたり、死んでしまったガンがいるということ。津軽の人々はその枝を拾って風呂を焚き、死んだガンの供養をした、ということです。
ちょうどガンが渡る頃に増える流木から想像した話のようですが、北国の人情をあらわしたような心にしみるやさしい伝説です。
虹始見
虹が出始める頃。夏の豪快な雨のあとには虹も立派なアーチを描きますが、優しい春の雨上がりには、虹も淡く、儚い様子。「虹」は夏の季語、この時期に見られる「初虹」というと春の季語になります。
今では美しい気象現象の代表のように愛される虹ですが、メカニズムの分からなかった時代には薄気味の悪いものとしてあまり好まれなかったようです。漢字の「虹」が虫偏なのは、古代中国では虹も虫の仲間、蛇や龍のようなものと考えられていたから。特に日差しが強い時にみられる二重の虹は「虹霓(こうげい)」といってオスの「虹」とメスの「霓」のペアだとされていました。
月の光でできる「月虹」は、春の虹よりさらに淡く、太陽のかさのようにぼんやり白く弧を描きます。西洋ではこれをみると幸せになれるとか、妖精の国につながる門だといった伝承がありました。
季節のことば
春雨
「春雨じゃ、濡れて参ろう」は、幕末の京都を舞台にした新国劇『月形半平太』でおなじみの一言。霧のように細かく、右からも左からも吹き込んでくる京都特有の春雨を表現した名ゼリフといわれます。半平太のように一杯引っ掛けて帰る夜道には、多少の雨なら逆にありがたい酔い覚ましにも。
春の雨はどこか柔らさを感じさせるもので、春の長雨は「春霖(しゅんりん)」ですが梅雨ほど憂鬱でもなく、春のにわか雨「春驟雨」も夏の夕立のような大騒ぎにはなりません。「時雨」だけだと冬の季語になり、春には「春時雨」。これもどことなく日差しの残る空の雨といった優しい印象をまとっています。4月頃、菜の花の咲く頃に降る雨には「菜種梅雨」の名前も。
日永
定時近くになった頃、なんとなく目をやった窓の明るさに思わず「ずいぶん日が長くなったなあ…」誰に聞かせるでもなく呟いてしまう…。
この時期、誰でも一度くらいこんな経験をしているのではないでしょうか。
春分を過ぎぐんぐん長くなる昼を実感するのは、昔からこの頃なのですね。日の長さを表した季語は、春が「日永」、夏が「夜短」、秋の「夜長」に冬の「短日」。確かに、日の長さを感じるのは春、計算上は同じことなはずですが、夜の短さは夏のほうが実感できる印象。
視点をちょっと変えるだけで、豊かな表現の生まれる言葉。四季の移ろいを繊細に観察してきた先人の目に頭が下がります。
花冷え
桜の花の咲く頃は、ちょっと歩いても汗をかくようなポカポカ陽気が続いたかと思えば突然気温が下がったりと、なかなか天気が定まらないもの。すっかり春だな、と安心した頃にやってくる寒さのぶり返しが「花冷え」です。雅なことばですが、使われ始めたのは大正時代以降だとか。
満開の桜にとっても、急な寒さや連日の雨は大敵。一日でも長く…の願いも空しく、雨上がりの桜は花びらを減らし、なんだか寂しい風情になってしまいます。木の芽が出る頃降る雨を「木の芽雨」というように、桜を散らすこの頃の雨は「花の雨」。春の雨全般は「春雨」や「春時雨」、春の長雨は「春霖」。
まだまだ油断できないこの頃、花冷えに備えて薄手のストールを一枚、バッグに忍ばせておきましょう。
この時期の風習や催し
灌仏会
今から二千数百年前の4月8日、ルンビニーの花園でお釈迦様が誕生したのをお祝いして行われるのが灌仏会。仏生会ともいい、花園に見立てて花で飾った花御堂のまんなかにお釈迦様の像をおき、頭から甘茶を注ぎます。
甘茶を注ぐのは、お釈迦様が生まれた時に天の龍が清らかな水を注いで産湯のかわりにした、という伝説から。お釈迦様の像は「誕生仏」という左右の手で上下を差す格好をしたもので、生まれてすぐに立ち上がり「天上天下唯我独尊」と唱えたというお釈迦様の有名な説話をもとにしています。
「花祭り」というとちょっとやさしい印象で、今ではこの名前でお稚児行列などを行うお寺も増えています。月遅れの旧暦4月8日に行う地域も。
高山祭
毎年4月の14、15日、飛騨の小京都・高山の街を豪華な屋台(山車)が練り歩きます。
高山の産土神である日枝神社のお祭りで、春の山王祭と秋の八幡祭でワンセット。江戸の中頃、享保3(1718)年頃から豊かになった町衆が美しい屋台を作りはじめたのが発祥とされます。「飛騨の匠」として有名な名工たちが技を光らせた豪華な屋台は、国の重要文化財。うっとり見惚れても触れたりしないのが大人のマナーです。
12台の屋台が勢ぞろいする曳き揃えは壮観。またお旅所前で奉納される伝統のからくり人形、幻想的にライトアップされる屋台の夜祭も見所です。タイミングがうまく合えば、欄干の朱が美しい中橋を渡る屋台に桜、なんてベストショットが見られるかもしれません。
善光寺ご開帳
一生に一度お参りすれば極楽往生間違いなし、というとてもありがたいご利益があるという信州信濃の善光寺。2015年には4月から5月末の約2ヶ月間にわたってご開帳がおこなわれます。
善光寺の御本尊は、6世紀頃に百済から伝わったといわれる大変に由緒のある仏像で、「絶対秘仏」といって決して公開されることがない秘中の秘。身代わりにと作られた「前立本尊」も普段は秘仏とされていて、6年に一度やってくる丑年と未年にだけご開帳されます。6年毎のご開帳になったのは明治時代以降で、それまでは不定期に行われていました。一説には、お寺であげられる念仏供養が100万回を数えた頃にご開帳を行うならわしで、それに6、7年かかるから…とも言われますが、詳しいことはわからないよう。
ご開帳のあいだ、御本尊の指に結ばれた糸が回向柱につながれて、柱を触ると御本尊に触れたのとおなじご利益があるとされて大変な参拝客で大にぎわいとなります。
本堂床下の回廊をめぐる「お戒壇巡り」では、あかりの一切ない真っ暗闇の回廊を手探りで進み、「極楽の錠前」に触れることができると極楽往生が約束されるといわれます。電灯だらけの現代に漆黒の闇を体験出来る、神秘的な空間となっています。
季節の食・野菜・魚
行者にんにく
山で修行する行者が精をつけるために食べていたという山菜で、北海道や近畿以北の山深くに自生します。ただ、育つのに5〜7年もかかるという稀少性からか、野生のものは乱獲され滅多にみられなくなっているそう。お店でみかけるものは栽培品がほとんどです。
行者が好んだというだけあって、滋養強壮効果のあるアリシンはニンニクよりも多く含まれています。βカロテンも豊富で、行者ニンニクとお肉を一緒に食べるとビタミンB1の吸収効率をよくしてくれます。
山菜のわりにアクが少なく、そのままゆでてよし、ヌタやてんぷらにしても美味しく食べられますが、名前のとおり同様強力なニンニク臭があるので食べ過ぎにはご注意。
よもぎ
柔らかい若芽をいただくヨモギの旬は3月から5月頃。モチグサともいうように、すりつぶしたヨモギを練り込んだ草餅はこの季節の味覚。ヨモギの独特の香りと、ほんのり苦味が餡の味を引き立てます。野草であるヨモギはあっという間に大きく伸びて、固く苦味も強くなってしまうので、花見の頃の桜餅、5月の節句の柏餅にはさまれた期間限定の味わいに。
沖縄のフーチバーは「ニシヨモギ」という別の種類で、ヨモギに比べて苦味がやさしく、さわやかな香りがあります。沖縄では昔からフーチバーを細かく刻んで炊き込みごはんに入れたり、ヤギなどニオイの強い食材のくさみ消しに使ってきました。
ビタミン、ミネラルも豊富で、解熱などの薬効もあり、お風呂にいれれば血行促進、お肌のトラブルにもいいという万能ハーブです。
鰹
回遊魚のカツオの旬は、さっぱりした身を味わう春ガツオと、たっぷりの脂をたくわえて戻ってきた秋ガツオ、いわゆる「戻りガツオ」の年2回。
「女房を質に入れても初鰹」と江戸っ子が熱狂したのは春ガツオのほう。とにかく初物が大好きだった江戸っ子たちは、後悔することはわかった上で目の飛び出るほど高いカツオを買い求めました。初鰹一匹が高級着物より高かった、なんて時代もあったそう。たっぷりの薬味に生姜醤油が今風ですが、江戸時代にはからし味噌をつけて食べるのが一般的でした。
カツオの旨味は身と皮の間につまっているので、皮ごと食べるたたきは別格の美味しさになります。独特なクセのある臭いも、薬味と一緒にほおばると最高の個性に大変身。
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