二十四節気
穀雨
春雨降りて百穀を生化すれば也
「穀雨」は穀物を潤す雨という意味で、作物も種から芽をだす季節を迎え本格的な農繁期がはじまります。気象学的にはこの時期に雨が増えるという統計はなく、雨に洗われて濡れた大地に若芽が萌え出ずる…といった心象的な意味合いの大きい言葉のよう。雨が降り、苗が伸び、となればそろそろ田にも水が張られる頃。水場が大好きなカエルにとっては嬉しい時期のはじまりです。
眠くて仕方ない晩春の夜を「蛙の目借り時」というのは、カエルが人の目を借りてしまって眠くなるから、といわれますが、もとは「妻狩り時」で、オスのカエルがメスを求める時期という意味だったそう。かわいいオタマジャクシがみられるのももうすぐですね。
七十二候
葭始生
葦が芽吹き始める頃。葦の成長は早く、芽吹きの時期には1日に5センチ近く伸びることもあるそう。日本神話では世界のはじまりに生まれた神様のなかにも葦の芽の生命力を象徴した「ウマシアシカビヒコジ」という名前が見えます。葦に限らず、枯れ草ばかりだった水辺が緑に包まれると、一気に春の雰囲気が増していきますね。
霜止出苗
ようやく霜の季節を抜けて、苗がすくすくと育ち始める頃。植物全般の苗のことでもあり、特に稲の苗を指すとすることもあるようです。稲の苗を育てる苗代作りは、一年間の米の収穫を左右するとても大切な工程。農家では遥か昔から苗代の苗をこどものように慈しみ、暑くはないか、寒くはないかとこまめに水を調整しながら健やかな成長を願います。
牡丹華
ボタンの花が咲き始める頃。いよいよ暖かくなり、ボタンに限らずあちこちで本格的に花が咲きだすのもこの頃。ちょうど世間もゴールデンウィークに突入し、各地の植物園やフラワーパークはカップルや家族連れで大盛況、ということになります。
季節のことば
葦牙
「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」「葦原中国(あしはらのなかつくに)」。舌のもつれそうな言葉ですが、どちらも日本を表す古い名前で、葦の生い茂る実り豊かな国というような意味。水が豊かで湿地の多かった日本列島では、葦は今よりずっと身近で、春にぐいぐいと芽を伸ばす姿は逞しく神秘的なものと捉えられていたようです。
力強い芽吹きの印象から葦は春の季語になりました。水辺を緑に変えていく葦の根元は魚の隠れ家になったり、鳥や小動物の巣作りに使われたりと、日本の生き物たちにとっては欠かせない空間になっていました。ツンと突き出すような葦の芽は「葦牙(あしかび)」「葦の錐(きり)」とも呼ばれます。
万葉集にも盛んに詠まれ、志貴皇子や山部赤人の残した名歌が伝わります。「ヨシ」というのは、スルメを「あたりめ」、梨を「ありの実」というように「悪し」に通じて縁起の悪く思える名前を呼び変えたもの。
八十八夜
立春から数えて八十八日目の夜、ちょうど五月の頭くらいにやってくる八十八夜。「夏も近づく八十八夜…」と唱歌の歌詞にされたことで一躍メジャーになったという経緯もあるようですが、昔から農家では本格的に一年の農作業をスタートさせる日として大切にされた吉日でした。
「八十八夜の別れ霜」というように、暖かさが落ち着いてようやく霜の心配が薄らぐのがこの時期で、また「八十八」を組みあわせると「米」になるから、と豊作の縁起担ぎの意味もあったよう。
いま八十八夜といって真っ先に思い浮かべるのは茶摘みですね。この日に摘まれた茶葉は長寿の縁起物として喜ばれ、茶どころ静岡などでは丁寧に手摘みされた高級茶として市場に流通します。地域や年によっても変わりますが、5月頭の頃はお茶の葉も旺盛に芽を伸ばす時期で、生命力のたっぷり詰まった茶葉にはおいしさとともに特別な効能があると信じられたのかもしれません。
忘れ霜
霜は農家の大敵。せっかく育ち始めた若芽や苗も、霜に当たって一気に全滅、ということも珍しくありません。
八十八夜の頃になると気温もやっと落ち着いて、霜も終わりのシーズンを迎えます。最後の霜が降りるのがこの頃になることから「八十八夜の別れ霜」などといい、蚕の餌となる桑畑や、茶畑では霜への注意に心を配りました。言い習わしではこの「別れ霜」で霜はおしまい、「終霜」などといいましたが、自然相手ですからそうそうぴったり終了というわけにもいかず、北国や山間ではしばらく気の許せない日々が続きました。
いま茶畑などでは等間隔に背の高い扇風機を並べて、風を送り続けることで霜を払う設備が用いられています。電線だらけの茶畑はやや風情に欠ける気もしますが、逆に新しい現代の景色と思うと、扇風機も欠かせない風景の一部に見えてきます。
この時期の風習や催し
遠足
小学校時代の2大お楽しみ行事といえば、遠足と運動会。季語では遠足が春、運動会が秋ということになっていますが、秋にも遠足があったり、昨今では受験生のために運動会を春にしてしまう学校もあるそうです。
江戸時代から春の野に繰り出して草摘みなどをしてすごす「野遊び」という行楽があり、これが春のものとされていたことから遠足も春の季語になったのだとも。また、遠足の楽しみといえば何よりもおやつとお弁当、という人も多かったはず。「バナナはおやつに入りますか?」は一定の年齢の方ならば一度は耳にしたことがある懐かしのフレーズではないでしょうか。これも最近は平等のためにおやつを学校が支給したり、全面禁止にするところもあるそうで、なんとも寂しい話です。
学校教育での遠足は明治時代には早くもさきがけがあったようで、心身の鍛錬を目的にした東京師範学校の「長途遠足」という校外授業がルーツとも考えられています。東京の学校から10日以上かけて千葉まで歩いたといいますから、遠足というより修学旅行に近いのかもしれませんね。
亀戸天神社藤まつり
お江戸一の藤の名所といえば、亀戸天神社をおいて他にはありません。100株にもなる藤が境内狭しと花を咲かせ、一面を淡紫のシャンデリアで装飾したようななかなか見られない景観をつくりあげます。藤まつりは毎年4月の下旬から5月頭頃に開催され、夜には藤棚のライトアップも行われます。
藤の木の下には心字池が静かに水を湛え、水面に写り込んだ逆さ富士ならぬ「逆さ藤」もここでしかみられない見どころのひとつ。その見事さは徳川将軍も見物に訪れたというほどで、浮世絵などにも描かれた折り紙付きの観光スポットでした。
まつりの開催時、神社の一帯は多くの屋台で賑わいますが、是非食べておきたいのが名物のくずもち。時代が江戸から東京に変わっても、花より団子(花も団子も?)な庶民のお腹をよろこばせてきた老舗の銘品です。
博多どんたく
毎年5月の3、4日両日で200万人もの見物客を集める博多の大イベントで、そのルーツは平安〜鎌倉時代頃までさかのぼるそう。室町時代には、町衆がお殿様に新年の祝い言葉を述べながら笛や太鼓で囃し立てる「松囃子」というにぎやかな正月行事となり、その明るくおめでたい伝統がいまの博多どんたくにも受け継がれています。
5月の開催になったのは終戦間もない昭和24年からで、恵比寿、大黒、福禄寿のおめでたい三福神やお稚児姿に盛装したこどもたちが市内を練り歩くのをスタートに、「どんたく隊」というグループが思い思いの仮装やパフォーマンスを繰り広げてお祭りを盛り上げます。
どんたくといえば、手に手にしゃもじをもって打ち鳴らしながらのユニークな踊りが有名です。晩ご飯の準備をしていたおかみさんがどんたくの音色に誘われて、たまらずにしゃもじをもったまま飛び入り参加してしまったのがはじまりといわれ、いまではすっかりどんたくのシンボルに。ロゴマークにもしゃもじが使われています。
季節の食・野菜・魚
アスパラガス
ヨーロッパでは紀元前から食用に栽培されていたアスパラガスですが、日本での本格的な栽培は大正時代から。江戸時代にはオランダから伝わっていたようですが、最初は観賞用にされたんだそう。アスパラガスは放っておくと1メートル以上に成長し、松葉のような細い葉をふさふさと茂らせます。見慣れないものを口にするは、いつの時代も勇気がいるのもですよね。
「アスパラガス」としていただくのは、成木の根元から生える若芽の部分。伸びすぎると硬くなるので、20〜30センチくらいが食べごろというところです。カロテンやビタミン類を多く含んだ緑黄色野菜で、疲れをとるアスパラギン酸を多く含んだ疲労回復野菜。簡単に茹でてマヨネーズだけで最高ですが、硬い根元を10秒ほど茹でてから全体を湯に入れるのが美味しく茹でるワンポイント。土をかぶせ日を当てずに育てたホワイトアスパラガスは、柔らかな食感と香りを楽しみます。
こごみ
シャクっとした歯ごたえと、噛んだ瞬間じゅるっと飛び出す「ぬめり」がたまらないこごみ。植物図鑑などに載る正式な名前は「クサソテツ」といい、こごみはその若い芽のこと。くるっと丸まった芽の曲がり具合が人が屈んでいるようだから「屈み(こごみ)」と呼ばれるようになりました。
日当たりがよく、適度に湿り気のある草地にたくさん生えるので、わざわざ重装備して山の中まで出向かなくても手に入るうれしい山菜。カンタンだからとあまり採りすぎると来年の収穫がゼロ、ということになってしまうので、ほどほどに自然のプレゼントをいただきましょう。
こごみは他の山菜と違ってアクがないのが一番嬉しい特徴で、さっと茹でておひたしに、和え物に、サラダや味噌汁の具としても使える重宝なもの。根から増えてくれるので、手のかからないガーデニング植物としても育てられます。
雲丹
ウニの産卵期は8月から10月頃で、卵巣が成熟する前が食べごろとされることから旬は初夏。季語としては春になるので少々ややこしいところです。
日本は世界で最もウニを食べる国で、世界的にはウニは珍食、ゲテモノ扱いされることも。確かに、最初にアレを割って食べよう、と思った人の勇気には頭が下がります。
ねっとりした舌触りと強い香りがウニの醍醐味ですが、独特なクセから苦手な人も少なくなく、特にこどもはあまり好まないので「大人の味」と言われることも。日本酒のアテとしても最高ですね。
日本に住むのはムラサキウニやバフンウニで、どこの海岸にもみられるメジャーな磯の生き物。ただしガンガゼなど種類によっては猛毒をもつものもいるので迂闊に手出しをしてはいけません。日本近海の種類の平均寿命は10年ほどですが、世界には100年以上生きるウニの仲間もいるそう。小さな体で意外に長生きするのですね。
いとより
薄紅の地に金と白の糸を引き、淡い空色をアクセントに散らした熱帯魚のような美しい魚。イトヨリダイとも言いますがマダイとは別の種類で、関西ではマダイに並ぶ高級魚、おめでたい魚として祝い膳の主役になります。
関西で珍重されるのに対して東京方面ではそれほどなじみがないのは、水揚げされるのが中部地方より南の西日本の海だからということもあるようです。イトヨリをはじめて見た関東の人の中には「鑑賞魚みたいで食べるのはちょっと…」と腰の引けてしまう向きもあるとか。
脂の少ない淡白で上品な味で、特に人気なのはさっと湯引きした刺身。適度に身が締まって、本来の旨味や甘さが味わえるうえ、見た目の美しさもプラスされてイトヨリの持ち味満載といったところ。
野菜と一緒にあっさりとした蒸し煮にするのも、味が染み出しておいしい食べ方。魚の旨味を引き出すアクアパッツァにも適しています。
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