Column

お花見特集

知って撮りたい! 伝説、歴史のある桜の名木 東日本編


桜大国ニッポンには、100年、200年、なかには1000年を超える樹齢を誇る桜の名木が全国各地に盛りだくさん。あれも見たい、こちらも気になる、とはいえ全て訪れるのはなかなか難しいもの。そこで桜の古樹、名木のなかでも、不思議な伝説や面白い歴史をもったスペシャルな名木を厳選してご紹介します。木に秘められた物語を知ったら、花もいっそう美しく見えてくるかもしれませんね。東日本からご紹介。

岩手 北上展勝地の桜

構想1年、効果は100年!東北に花開いた桜の大プロジェクト

【場所】岩手県北上市立花 北上市立公園
【桜の種類】ソメイヨシノなど(開花時期4月中旬〜下旬)

 青森県の弘前、秋田県の角館とならんで「みちのく三大桜名所」に名を連ねるのが、岩手県の北上市立公園展勝地。東北随一の大河北上川の流れに沿って、オオヤマザクラ8000本、ソメイヨシノ2000本、合計10000本150品種もの桜がところ狭しと咲き誇っています。

 もともと県下では景勝地として知られていたこの場所を、東北を代表する桜スポットに育て上げたのが、大正時代にこの地の町長をつとめた沢藤幸治氏でした。
今から100年ほど前の大正9(1920)年、沢藤氏は廃れつつあった川沿いの名所を整備し、「復旧」どころか日本中に名をとどろかす観光地にしようと一大プロジェクトを立ち上げました。それは河畔にたくさんの桜を植樹し、それも一種類だけではなく、開花時期の異なるさまざまな種類の桜を植えて長い間花見頃を楽しめる場所にしようという、先見的なアイディアのつまったものでした。

 こうして翌年開園した展勝地は、今でも4月のソメイヨシノ開花から5月下旬にカスミザクラが見頃を迎えるまで、1ヶ月以上にわたって桜を楽しめるスポットとして有名です。100年も前からこの未来を見通していたビジョンには脱帽。北上の展勝地は、公園全体が大正の名プランナーによって計算されつくした桜の芸術作品といえるのかもしれません。

 現在北上展勝地では、桜の季節に合わせて「さくらまつり」が開催されます。北上川から桜を眺める遊覧船や、大正ロマンの香りただようレトロな観光馬車などが用意され、お花見をいっそう盛り上げています。展勝地から徒歩10分ほどの場所にあるみちのく民俗村では、縄文遺跡から明治の洋風校舎まで東北ゆかりの建物を数多く集めた屋外展示を楽しむことができます。

北上展勝地

福島 米沢の千歳桜

美男美女の想いを伝える、会津「無冠」の名桜

【場所】福島県会津美里町新鶴
【桜の種類】ベニヒガンザクラ(推定樹齢700年、開花時期4月中旬〜下旬)

 鶴ヶ城や会津五桜など、桜の見所いっぱいの会津地方。五桜にこそカウントされていませんが、米沢の千歳桜もこれらの名木に劣らない見事な花を楽しませてくれます。推定樹齢は700年、幹の周囲は10メートルを超え、県指定の天然記念物にも。
一面に広がる田畑のなか、何者にも邪魔されずのびのびと枝を広げる姿は解放感たっぷりで、700年の時をすごしてきた古樹の穏やかな息遣いを感じさせてくれます。

 千歳桜の名前は、鎌倉時代に地頭としてこの地を治めていた富塚盛勝が、最愛の妻・千歳の死を悲しんで植えたことからと伝わりますが、他にも次のような伝承が残されています。
 この頃、会津には江川長者という富豪が住んでいました。長者には千歳という目に入れても痛くないほどかわいい娘がいたのですが、千歳はあるとき富塚盛勝の立派な姿に一目惚れし、叶わぬ恋の病に寝込むとそのまま息を引き取ってしまいます。これを伝え聞いた盛勝は千歳の想いを憐れみ、乙女の供養のために桜を植えました。桜はやがて「千歳桜」とよばれるようになった…というものです。

 娘の名前は常姫であったり、別の桜にもよく似た話が残っていたりと伝説は入り乱れてさまざまなバリエーションが伝えられています。ただ、りりしい武家の美男子と、美しい姫君との恋物語を連想させるような美しさを千歳桜がもっていることは間違いがないようです。
4月の下旬、種まき時に決まって花を咲かせることから「種まき桜」ともよばれ、土地の人々に愛されてきました。

米沢の千歳桜

山形 伊佐沢の久保桜

一途な愛を伝え続けて1200年。
米沢藩主も愛した平安の名将ゆかりの桜

【場所】山形県長井市上伊佐沢
【桜の種類】エドヒガンザクラ(推定樹齢1200年、開花時期4月中旬〜下旬)

 樹高16メートル、枝張りは東西25メートルにもなる東日本最大とされる桜のひとつで、推定樹齢は1200年を数えます。1200年前といえば日本は平安時代。この桜にも、教科書でもおなじみの平安時代の名将・坂上田村麻呂にまつわる純粋な恋の物語が伝えられています。

 蝦夷(えみし)討伐のために東北に軍を進めていた田村麻呂は、その途次伊佐沢の地に宿をとりました。都からはるばるやってきた征夷大将軍のため、地元の豪族久保氏の一人娘お玉が世話にあったのですが、やがて二人は恋仲になり、お互いに想い合うようになっていました。
 しかし田村麻呂は任務のため、愛しいお玉を残して北に進みます。彼を見送ったお玉は寂しさのあまりいつしか体を壊し、残念なことにそのまま最期を迎えてしまいました。
のちにそれを知った田村麻呂はお玉を悼み、摂津(現在の大阪)麻耶山から桜を取り寄せると伊佐沢の地に植え、お玉の冥福を祈りました。桜はやがて久保桜、別名をお玉桜とよばれるようになったのでした。
 美しくも儚く散ってしまう桜は、可憐な女性を弔うのにふさわしい花と考えられたのでしょうか。桜と乙女の切ない恋を結びつける伝説は、日本各地にいくつも残されています。

 久保桜はその見事さから、江戸時代には米沢藩主が直々に見物に訪れるほどでした。今では隣に小学校が建てられ、桜は校庭からこどもたちの成長を見守っています。この校庭では花見頃にあわせて郷土芸能「念仏踊り」が開催され、江戸時代より400年受け継がれるという軽快なお囃子と踊りが披露されます。

伊佐沢の久保桜

山梨 慈雲寺の糸桜

美しさプライスレス!お札のあの人ゆかりの大しだれ桜

【場所】山梨県甲州市塩山中萩原
【桜の種類】イトザクラ(エドヒガンザクラ変種)
      (推定樹齢300年、開花時期4月上旬)

 シダレザクラはエドヒガンの変種で、一般の桜よりも柔らかい枝が垂れ下がることで雅やかな風景をつくりだします。糸を垂らしたようにみえることからイトザクラともいわれますが、山梨県慈雲寺の糸桜は樹齢約300年の大木で、花見頃にはお堂を屋根まで覆い隠す桜色の滝が流れるような幻想的な景色をみせてくれます。

 慈雲寺は700年ほどの名僧が開いたと伝わる由緒ある寺院で、江戸時代から私塾をひらいて地元の人々を導いてきた教育の中心地でもありました。そんな歴史が縁をつないだのでしょうか、慈雲寺は女流作家のさきがけとして名高い樋口一葉と深いゆかりをもっています。
 五千円札の顔としてもおなじみの一葉の両親はお寺のあるこの地区の出身で、樋口家の墓も近くにあるそう。一葉の作品には、この山梨の地に暮らした人々をモデルにしたという人物も多く登場しています。名作を世に送りながら24歳の若さで世を去ってしまった一葉ですが、その業績をたたえる地元の人々によって、慈雲寺の境内には一葉の文学碑も建立されています。
 『たけくらべ』をポケットに、一葉ゆかりの桜を眺める…。「お花見×文学」、そんな楽しみ方もこの桜ならではの鑑賞法かもしれません。

 糸桜が満開を過ぎる頃には周囲の桃が順々に花開き、お花見のバトンタッチといった美しい景色をみることもできます。

慈雲寺のしだれ桜

東京 渋谷の金王桜

一重と八重の合わせ技!坂東武者の魂を慰めた江戸三銘木

【場所】東京都渋谷区金王八幡宮境内
【桜の種類】長州緋桜(樹齢不詳、開花時期3月下旬〜4月上旬頃)

 大都会東京の都心にも、長い歴史をもった珍しい桜が残されています。
渋谷区の金王八幡宮境内に咲く「金王桜」がそれで、長州緋桜という貴重な品種。さらに一本の木に一重と八重が入り混じって咲くというとても珍しい特徴をもっていて、保護のために代々種から新しい苗木が育てられ木の命が伝えられてきました。

 社伝によれば、渋谷の地にこの珍しい桜を伝えたのは、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝だとされています。
 文治5(1189)年、東北の奥州藤原氏を攻め滅ぼした頼朝は、渋谷八幡宮とよばれていた同社に立ち寄り、戦勝御礼の参拝をしました。そして、この5年前に義経追討の戦さで討ち死にした渋谷金王丸という武者の忠誠を称え、鎌倉から「憂い忘れ桜」という名木を取り寄せて境内に移し替えます。いつまでも金王丸の名を残すために、頼朝は桜を「金王桜」と名付け、いつしか神社の名も金王八幡宮とよばれるようになったのでした。
 苗木よって代を重ねているため現在の桜の樹齢は確定できませんが、伝説が事実であるなら頼朝の木から代々800年もの長い間渋谷を見守ってきたこの桜。じつは鎌倉にも一重八重混じり咲きの桜が現存し、伝説の真実味を裏打ちしています。

 背負った歴史と花びらの珍しさから江戸ッ子たちにも愛され、江戸三大桜、桜の三銘木にも数えられていました。

白く咲き誇るのが「金王桜」

白く咲き誇るのが「金王桜」

長野 素桜神社の神代桜

神さまお手植え!神社を覆う圧巻の桜の巨木

【場所】長野県長野市泉平
【桜の種類】エドヒガンザクラ(推定樹齢1200年、開花時期4月下旬〜)

 桜の伝説数々あれど、「神さまがお手植えした桜」という話にはそうそう巡り会えません。そんなプレミアムな伝説をもつ素桜神社の神代桜は、文句無しに日本を代表する最古級の桜といっていいでしょう。

 「神代桜」というと山梨県の高山神代桜が有名ですが、これと双璧をなす二大神代桜の一角が信州素桜神社の神代桜です。登場する神さまは『古事記』や『日本書紀』に大活躍する、ヤマタノオロチ退治の神話でも有名な天照大神の弟、スサノオノミコト。
 スサノオノミコトは猛々しい反面、日本中に木を植えて山々を緑化したという元祖エコな神さまでもあります。神社の伝承では、スサノオノミコトが信濃の国のこの地に休憩をとったとき、手にした桜の枝を地面に刺したところそのまま根が生え、生きた木になってしまいました。この桜が育ったものとされるのが同社の神代桜で、根回りは9メートル、幹の最も太い部分は11メートルにもなり、神社のお堂が小さくみえてしまうほどの枝ぶりにいっぱいの花を咲かせます。

 じつは昭和の末頃には花も満足に咲かないほどに衰えてしまっていた神代桜。地元の人々の保護活動により、再び立派に満開を迎えるまでに回復した「よみがえりの桜」でもあります。
 神代桜から10kmほど車を走らせた隣町の飯綱町地蔵久保には、ヤマザクラとしては全国最大級とされる巨樹、地蔵久保のオオヤマザクラがそびえています。県道沿いの小高い丘の上、赤みの濃い花を咲かせる姿は、知らずに通りかかっても目を奪われてしまうほど力強い風格をそなえています。

素桜神社の神代桜

北海道 光善寺の血脈桜

花の精が乙女に変身?北の大地の美しい桜伝説

【場所】北海道松前郡松前町
【桜の種類】サトザクラ(マツマエハヤザキ)(推定樹齢300年、開花時期4月下旬〜)

 松前は北海道下有数の桜の名所。250種を数える町内の桜のなかには、今では松前でしかみられない貴重な品種も少なくないと言われます。そんな桜スポット松前のなかでも、光善寺の血脈桜は樹齢、伝説の面白さとも堂々のナンバーワンといえるでしょう。

 むかしむかし、松前の城下にお静という娘が住んでいました。あるとき、お静は旅先でひとりの尼さんと仲良くなり、別れ際に一本の桜を贈られます。彼女はその桜を菩提寺の光善寺境内に植えて大切に育てたのでした。
 それから時は経って江戸時代。お寺の本堂が修理されることとなり、大きく育ったお静の桜は仕方なく切り倒されることになりました。伐採の前日、寺の住職の枕元に美しい娘が現れます。そして「私は明日死ぬ身なので、ぜひ血脈(極楽に生まれ変われるという保証書)を授けてください」と手を合わせてきました。
 住職は断りきれず娘に血脈の証文を授与するのですが、翌朝庭に出てみると、娘に与えたはずの証文が桜の木の枝に結ばれ、ひらひら風になびいていたのです。
「ゆうべの娘は桜の精だったか!」と、住職はすぐに桜の伐採をとりやめ、この桜をご神木として大切に祭り伝えることにしたのでした。

 桜の精が娘になって現れたのか、桜に想いを込めたお静の姿だったのか、それとも桜を贈った尼さんの魂だったのか…美しい桜を眺めながら伝説の世界に想いを馳せるのも楽しいですね。
 光善寺のすぐ近くには、血脈桜の接ぎ木とソメイヨシノが一つの幹から並んで伸びる「夫婦桜」も。二色の花が一度に楽しめるこちらの桜は良縁、縁結びのパワースポットとしても人気になっています。