Column

お花見特集

今ふたたびヤマザクラの魅力を知る


日本人にとって特別な「桜」

 日本人にとって、「桜」は古来より特別な花でした。

 最古の和歌集『万葉集』にも桜の記述は多く見られますが、まだこのときには中国伝来の「梅」が主役でした。しかし、遣唐船の中止によって文化の自国化が進むと、日本人の心は急速に「桜」へと傾いていきます。そして、『古今集』(平安前期)以来、「花」と言えば、特にことわらなくてそれは桜の花を指すようになり、すべての花の代表として象徴されるまでになっていきました。
 世界でも珍しい花の下での宴「花見」の歴史も古く、最古の記録では嵯峨天皇(786~842)の花見の様子が『日本後記』の中に記されています。平安貴族たちは「桜狩り」と称し、春になるとこぞって野山へと花見に出掛けました。以来、鎌倉、室町と時代が移り、公家社会から武家社会へと世の主役が変わっても「花見」の文化は続いていきます。
 ただし、この頃までの「花見」は権力者たちだけのものであり、一般庶民にまでこれが広まったのは、庶民文化の花が開く江戸時代になってからでした。江戸の各地には花見の名所が生まれ、現代のように、春になれば大勢の花見客で賑わうようになっていったのです。

ソメイヨシノが変えた「桜」の心象

 こうして庶民にまで広がった「花見」ですが、江戸時代までの日本人が見ていた桜は、実は私たちが今見ている桜とはまったくの別ものだということをご存じでしょうか。
 現代の日本人にとって「桜」といえば、ほとんどの人が「ソメイヨシノ」を思い浮かべますが、同様に明治以前は「桜」と言えば、それは「山桜」のことを指していました。平安時代より八重桜やしだれ桜もあったようですが、先述の「桜狩り」で貴族が愛でた桜も、「吉野の花見」で有名な豊臣秀吉が眺めた桜も「山桜」でした。
 しかし、江戸時代末期、江戸の染井村(元東京都駒込付近)の植木職人が人工交配して育成した「ソメイヨシノ」が人気となり、明治の中頃から日本全国に爆発的に広まっていくと、花見の主役はいつしか山桜からソメイヨシノへと大きく変わっていきます。
 葉が出るよりも先に花が咲き、群植すると見栄えのするソメイヨシノは、成長の早さと土地を選ばない管理のしやすさも手伝って、全国各地の花見の名所づくりに盛んに植えられました。同時に、野山に自生する山桜は急速に人々の関心を失っていくことになります。

茨城県桜川市雨巻山

茨城県桜川市雨巻山

植物としてみた「桜」

 ここで一度、植物としての桜について見てみましょう。
 日本にある桜には、元々野山にあった野生の桜(自生種)と、人間が交配したり栽培して名前を付けた園芸品種(里桜)とがあります。自生種の代表は先述の通り「山桜」ですが、他にも日本には「大山桜」・「霞桜」・「大島桜」・「江戸彼岸桜」・「豆桜」・「丁子桜」・「高嶺桜」・「深山桜」の9種類が自生しています。対する園芸品種はというと、世界に例を見ないほど多く、名前の付いたものだけでも300種とも400種とも言われています。いかに日本人が桜を好きかわかる数字ですね。
 植物学的に見ると、桜は「自家不和合性」と言って、人間と同じように特定の他個体、他系統の株とでなければ有性生殖しません(同じ遺伝子では生殖しないということ)。ですから、自然の中で種から育った桜は、1本1本違う遺伝子を持つことになります。
 対して、ソメイヨシノに代表される園芸品種は、特定の原木を接ぎ木などの方法で人工栽培した「クローン」であり、青森のソメイヨシノも九州のソメイヨシノも遺伝子はまったく同じ、言い換えればどこでも同じ花が咲くということになります。
 春になると「ソメイヨシノの開花前線」が毎日報じられますが、あれはクローン故に、同じ気象条件の下では同時に開花する性質と、日本全国の桜の約8割がソメイヨシノであることから生まれた言葉なのです。

自生するヤマザクラ

自生するヤマザクラ

現代人の「花見」

 さて、もう一度「花見」に話を戻します。
 毎年春になると日本全国の花見の名所を紹介する雑誌が刊行され、「花見の名所100選」なども選ばれたりしていますが、そのほとんどはソメイヨシノが群植された場所です。言い換えれば、いかにソメイヨシノの群桜が映えるシチュエーションかということになります。
 また、○千本のソメイヨシノが・・・や、両岸○kmの並木が・・・といった、圧倒的な数の力も人気の要因のひとつになっています。群植された桜が一斉に咲き一斉に散る様子は確かに圧巻で、私たちの心を否が応でも高揚させてくれます。「花より団子」の言葉を出すまでもなく、桜の下で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたくなるのも仕方ありません。

岩手県北上市立公園展勝地(ソメイヨシノ)

岩手県北上市立公園展勝地(ソメイヨシノ)

今再び「山桜」の魅力を知る

 では、「山桜」の花見とはどういったものだったのでしょう?
 植物として見た桜の項で書いたように、自生の山桜は1本1本遺伝子が違うため、花の形や色、大きさもそれぞれ異なり、同じ気象条件の下でも、「一斉に咲き一斉に散る」ということはありません。例えば、ある場所に千本の山桜を群植したとしても、まだ開花していない木もあれば、散り始めている木もあるという具合です。
 また、ほとんどの山桜は花と同時に葉(新芽)が出てくるため、あのピンク一色に染まったソメイヨシノの圧倒的な桜景色にはなりません。
 しかし、これをもって「山桜はソメイヨシノに劣る」と言ってしまうのは早計です。
 果たして、山桜の魅力とは・・・
 それは、自生種だからこその「多様性」にあります。
 実はみなさん、「花見」と言っても、本当に「花」を見ている方はほとんどいないのではないでしょうか。ソメイヨシノの群桜に慣れてしまった私たちは、「花」そのものの美しさに気づかなくなってしまったように思います。山桜の「花」をじっくり見てみると、ソメイヨシノにはない美しさがあることに気づきます。桜の花の形に、これほどまでの違いがあるということもわかるでしょう。更には、匂いのある花があることを発見したり、絶妙な新芽の色や形に、自然が生み出す造形美を感じとることもできます。
 万葉人たちも、こうした桜の花ひとつひとつの美しさに心を動かされ、そこに春の訪れを感じ取り、歌に詠んだのではないでしょうか。

色、姿様々なヤマザクラの多様性

色、姿様々なヤマザクラの多様性

自生する里山の山桜に「桜の原風景」を見る

 山桜の自生する里山の景色にも、ソメイヨシノの花見の名所とは違った魅力があります。
 紀貫之が「常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ間なく寄すらめ」(「後撰和歌集」)と詠んだ、山桜の群生する茨城県桜川市の「高峯」には、古の日本人が見ていたであろう、「桜の原風景」が残っています。冬枯れた濃色の山肌に山桜が花を咲かせる時期は、人の手で植えられた桜とは趣の違う、生き生きとした野生の桜の姿を見ることができます。
 春が進み、この山桜が散る頃、里山はクライマックスを迎えます。
 遅咲きの桜が咲き、赤や茶、黄色といったさまざまな色の山桜の新芽と、雑木の萌え出る新緑が織りなす景色はまるで珊瑚礁のよう。
 「紅葉」にも似ていますが、秋のそれとは違い、生命の息吹を感じる景観は、まさに「春爛漫」という言葉を思い起こさせてくれます。

茨城県桜川市高峰 ヤマザクラに染まる

茨城県桜川市高峰 ヤマザクラに染まる

「花見」ではなく「観桜」の気持ちで

 古の日本人が見ていたヤマザクラと、現代の桜であるソメイヨシノについて書いてきましたが、一言で言うと前者は「風情」の桜、後者は「豪華絢爛」の桜と言えるのではないでしょうか。豊臣秀吉と千利休の世界観の違いにも通じるものがあるように思います。
 ソメイヨシノが開花から散るまで「○分咲き」で表現されるのに対し、開花のタイミングが一様でない山桜には、一日として同じ景色がありません。また、日ごとの温度変化にも左右されるので、同じ場所でも毎年風景が異なってきます。その分、ソメイヨシノよりも長い期間楽しめるのも山桜の特徴です。

 ソメイヨシノの賑やかな花見に飽きたら、たまには、紀貫之の時代のように、「観桜」という気持ちで、ゆったりと静かに山桜を愛でてみてはいかがでしょうか。桜に対する目線が、少し変わってくるかもしれません。

日々異なる彩りを見せるヤマザクラの風情

日々異なる彩りを見せるヤマザクラの風情

Author Profile
サクラサク里プロジェクト

2005年、茨城県岩瀬町(現桜川市)商工会青年部の有志が設立したまちおこし団体。
平安の時代から歌に詠まれるほどの由緒あるサクラの名所が、地元の人たちからも忘れ去られようとしていることを憂い、これを再興することで地域の活性化につなげようと活動を開始。
約800本のヤマザクラが見られる「磯部桜川公園」の樹勢調査をはじめ、サクラの保護・育成、PR、地元小学校での総合学習講師など、ヤマザクラの魅力を広く伝える
活動を行っている。
近年は、地元の方たちと協力しながら、野生のヤマザクラが群生する「高峯」の整備とPRにも力を入れている。
「桜川のサクラ」は、大正13年国指定「名勝」に、昭和49年には国指定「天然記念物」の指定を受けている。

URL http://www.sakuragawanosakura.jp/