クリスマスから一夜明けると、街は一気に装いを変えます。門松が置かれ、注連飾りが吊るされて…これぞニッポンという景色に一転、気持ちのスイッチも年末モードに切り替わり。
毎年恒例の年末年始の行事には、神さま仏さまにゆかりの深いものが沢山あります。ふだんは足を運ばないけれどお正月くらいはお参りに行っておこうか、という人も多いのではないでしょうか。
旧暦12月13日は正月事始め。新年の準備をスタートする日とされ、この日から大掃除を始めるのがよいとされていました。身の回りをきれいにするのが大掃除なら、自分自身をリセットするのが大祓。6月と12月の晦日にお祓いが行われました。家も体もさっぱりさせて迎える大晦日、年越し蕎麦をすするうちに除夜の鐘を聞き、年をまたいだ二年参りに出かける人もいるでしょう。
初日の出とともに新年と新しい年の神さまをお迎えしたら、初詣に繰り出して、三が日はのんびりおせちで過ごします。正月七日、七草粥で疲れた胃腸とお正月気分を切り替えて、あっという間に15日の小正月、鏡開きとどんど焼きで今年のお正月行事もひと段落、お開きとなります。
年末の風習 一年の締めくくりはココに気をつけて
大掃除
掃除グッズの進歩や家の構造の変化によって、最近では年末に特別な掃除をしない家庭が約半数にもなるという調査があるようですが、実は大掃除のルーツはただの掃除ではありません。
旧暦の12月13日は「正月事始め」と言われ、この日からお正月の準備を始めるとよい日とされました。お正月の準備、というのはつまり、新年とともにやってくる年の神さまをお迎えする準備ということです。大掃除のもとである「煤払い」は、一年にたまった煤を取り払うのとともに、祭具で神棚をはじめ家中のケガレを祓う、お清めの意味もある行事でした。今でも神社やお寺では年中行事として煤払いが行われています。
ですから、神棚や仏壇のある家庭ではまずはそこから掃除をはじめるのがよいとされます。神棚などがない家も多い現代ですが、台所の神さま、玄関の神さま、トイレの神さまなど、日本人は家の中にもたくさんの神さまがいると考えてきました。チリひとつなく…などと重く考えず、一年間お世話になった神さまに感謝の気持ちでお掃除をしてみてはいかがでしょうか。
除夜の鐘
ケガレを祓うというのは日本古来の信仰で、宗教でいえば神道的な発想になります。仏教での一年の締めくくりは「除夜の鐘」。大晦日は「除日」ともいい、その夜が「除夜」。お寺では大晦日に一年を振り返り内省する除夜会(じょやえ)が行われ、そこで鐘が撞かれるようになりました。
鐘が鳴らされるのは人間のもつ108の煩悩の除くためで、大晦日の深夜、年をまたいで撞かれるのが習慣です。昔から人々は鐘や鈴の音色には浄化の作用があると考えていました。法要で鳴らされるお鈴や、神社の巫女さんが振る鈴なども場の清めを願ってのもの。108回も聞くのは難しくても、ゴーンという響きが聞こえたら心を鎮めて、一年をゆっくり振り返ってみるのもいいかもしれません。
大祓
神道において「清浄」な状態を保つことは最も重要なことで、それだけにたいへん厳しい決まりがあります。食べ物でも肉類は許されず、昔は牛乳を使った食品(バターやクリームなども)もダメだとされていました。天照大神に仕える伊勢神宮では、仏を「中子」、僧侶を「髪長」などと言い換え仏教にまつわる言葉を口にすることさえNGとされるなど、私たちが普通の生活を送るなかではどうしても守ることの難しいものです。
つまり、その気はなくとも私たちは知らずに罪ケガレに触れてしまっているということ。そうしてたまった不浄を清めてくれるのが宮中行事の「大祓」です。
大祓は奈良時代には記録が見え、西暦701年には儀式次第が決定されているたいへん古い歴史をもつもの。大祓の「大」は「公」の意味で、国家の儀式として公全体の罪ケガレを祓う式典を表し、6月と12月の晦日、文武百官を宮殿や朱雀門の近くに集めてお祓いが行われました。途中で断絶もあったものの明治になり復活し、現在の宮中でも12月31日に「大祓の儀」が執行され、国民全員のためのお祓いがなされています。また宮中行事とは別に大祓を行う神社も多く、特に6月末の大祓は「夏越の祓え」として茅の輪くぐりでもおなじみです。
個人でのお祓い
公式なお祓いが「大祓」ですが、私たちがプライベートに神社でお祓いを受けたいときはどのようにするのでしょう。神社ごとにも決まりが異なる場合があるのでそれぞれの神社の案内に従うのが基本ですが、おおまかな作法は同様です。
まずは神社からいただく形代(かたしろ)という人の形の紙で体をなで、自分のケガレを移します。そして形代にふっ、ふっ、ふっと息を三回吹きかけて、神社にお渡しします。このとき名前や住所を記入するものがあれば、指定された場所に書き込みます。
これで形代は自分の身代わりになり、不浄を背負ってくれた状態とされます。この形代は神社によって川に流されるのですが、川の神、海の神、海流の神によってこの世の外の根の国に運ばれ、根の国の神がどこかに持ち去り消し去ってくれるとされています。
身代わりに流される人形は「流しびな」ともいわれ、現在のひな祭りの源流はこの行事にあるとも考えられています。
年始の風習 お参りまでに知っておきたい、初詣豆知識
初詣
お正月行事の定番となっている初詣ですが、現在のような初詣のスタイルが広まったのは大正時代以降といわれ、ずいぶん新しい伝統のよう。
江戸時代に一般的だったのは「恵方詣で」という、その年ごとに縁起がいいといわれた方角にある神社にお参りに行くもの。一方、田舎では正月に産土の神様にお参りをする風習があり、田舎から江戸にのぼった町人たちがこの風習のかわりにめいめい好きな神社を参るようになったのが江戸時代も後半のこと。お武家さんや商人が主人への挨拶回りに駆け回っている間に、こちらはのんびり寺社参り、といったところだったようです。
好きな神社に詣でる風習が明治時代には主流になっていき、日本中に鉄道が敷かれた大正時代、正月の売り上げを伸ばそうと鉄道会社が始めたキャンペーンが「初詣」でした。沿線にある神社への正月参りを促した(つまり自社の鉄道に乗らせようとした)ことで、川崎大師など大都市部からやや離れた社寺への参拝も大衆化し、正月に人が殺到する現在の初詣が定着することとなりました。
そういうわけで、初詣にはあまり細かなしきたりなどはなく、各自信じる社寺に、お正月松の内くらいにお参りをしておけばよい、といったところでしょうか。現在は初詣のひとつとされていますが、大晦日の夜から元日の深夜にかけてお参りをするのを「二年参り」といい、こちらはあまり遅くなりすぎないようにするのがよいようです。
飾り物
お正月、初詣先を神社に選んだらチェックしたいのが注連縄(しめなわ)です。
天照大神が岩戸に篭ってしまったとき、もう二度と入れないように入り口を縄で塞いだのがはじまりとされ、なった藁にシデという紙を挟み込みます。
御神木などに回されているのも見かける前垂注連(まえだれじめ)、片側がずんと太くまるで大根のようにみえる大根(おおね)注連、大根注連を細くしたような牛蒡注連の三種類がもっともスタンダードなかたちですが、なかにはうねうねと鳥居に巻きつけられた藁蛇(わらへび)という変わり種も。神社に悪霊が入らないよう威嚇しているのだとも言われます。
太い注連縄で有名なのが出雲大社の大注連縄ですが、全長約14メートルのこの注連縄を作るのに必要な藁はなんと米俵100俵分とも。重量は優に5トンを超えるそうです。一般的に向かって右側に太いほうがくるよう飾る注連縄ですが、出雲大社の注連縄は左右が逆につるされています。これは、高天原の神々に国を明け渡したご祭神オオクニヌシを恐れて、その怒りが外にあふれ出ないようわざと内向きに結界を張っているのだ…という話も。
吊るされたシデのかたちも神社の流派によってさまざまなカットがありますので、鳥居をくぐるとき、拝殿にむかったときに目を止めてみると意外な発見があるかもしれません。
初詣 ここに注意!願い事を叶えるための神社の参拝マナー
せっかくお参りをしても、知らず知らずに神さまに失礼な行動をしてしまっていたのではちょっと残念。何気なく行っている作法を再確認して、スマートな参拝をしてみましょう。ここでは神社参拝の作法をご紹介。
1、鳥居をくぐる時に一礼
ここから向こうは神様の敷地、という印が鳥居。よその家の門をくぐるのと同じで、鳥居をくぐるときも一礼しましょう。軽い会釈程度でも「失礼します」の気持ちが伝わればよいようです。
1、参道は左側通行
神社の参道の中心は神さまのための道とされ、あまり堂々と通るのはよくありません。混雑した初詣では仕方ありませんが、なるべく左端をゆっくり進むのがよいとされます。
参道に敷かれた玉砂利は、参道を浄化する意味のあるもの。ジャリジャリという音にも浄化の働きがあるといわれるので、しっかり踏みしめて歩いた方がお清めの効果大かも。
1、手水舎ではひしゃくに口をつけない
正式な参拝作法では水浴びをして全身を清める必要がありますが、そこまでしていてはあまりに大変なので口と手だけをすすげばOK、というのが手水舎の意味です。
左手、右手、口の順に水で清めますが、このときひしゃくに口をつけると、ひしゃく自体が汚れてしまって清めの意味をなしません。清められた左手に水をとって口をすすぐのが正式な作法です。
また、使ったひしゃくは柄にも水を流し、自分が握った部分をきちんと清め直してから元に戻すのも心遣いです。
1、お賽銭はいくらでも問題なし
お賽銭が少ないから願いを聞かない、というほど神さまはケチではありません。お賽銭というシステム自体があまり古いものではなく、その昔は米や収穫された農産物などを奉納するのがスタンダードでした。「5円はご縁」「10円は遠縁」などといわれますが、そもそも「円」になったのも明治以降ですし、公務員の初任給が50円という時代に5円もお賽銭を入れる人はなかなかいなかったのではないでしょうか。
というわけで、お賽銭の金額によって左右されるものは特にありません。自分の納得できる金額をお納めしてください。
1、鈴を鳴らして軽く一礼、そのあとで二礼二拍手一礼
鈴には浄化の意味とともに、神様への「これからお参りをします」というお知らせの意味があるとされます。鈴を鳴らしたらまずは軽く会釈程度の一礼。そして深々と二回礼をし、二回の柏手、胸の前で手を合わせて願い事をしたら、最後にまた深く一礼して神前を退きます。
『魏志倭人伝』にすでに「倭人は偉い人に会うと手を打ち鳴らす」と珍しがられていますから、柏手ははるか昔から行われていた日本独特の風習のようです。二礼二拍手一礼の制が定められたのは明治時代のことで、それほど古い慣例ではありません。出雲大社では四拍手、伊勢神宮は八拍手などルールは神社によってもさまざまで、大切なのは作法を知って場違いなお参りをしないこと。お寺で柏手を打ってはせっかくのお参りも無作法になるのと同様です。
1、神さまにはなるべく背を向けない
お参りが終わったら、すぐにくるっと背を向けずそのまま数歩下がるのがマナー。これも大混雑の初詣では難しいかもしれませんが、ほんのわずかに下がるだけでも気持ちがあればよいでしょう。
1、お守り、絵馬をいただくときは…
社務所でおみくじを買うとき「ひとつください」でも通用しますが、お守りの正しい数え方は「一体、二体…」となります。絵馬やお札も同様で「⚫︎体」。これはお守りが神さまの分身だから、ともいわれます。では神さまの数え方はというと、一体、二体ではなく「一柱、二柱…」。神さまは高い柱に宿るという古い信仰が由来で、神社に鎮まる神さまは「一座、二座…」とも数えます。
ちなみにお神輿や鳥居の数え方は「一基、二基…」、神社ではありませんがお寺の梵鐘は「一口(こう)、二口…」となります。
1、摂社、末社にも注目
神社の本殿に祀られる神さまの他に、社域内にある小さな社や祠などが摂・末社です。ご祭神に関連のある神さまを祀るのが摂社、その他が末社と区別されますが、現在は明確な線引きはなくなっているようです。摂・末社のうちにはもともとその土地の本来の主人だった神さまや、古い歴史があって大きな神社に招かれた神さまなど面白い由緒を持ったものがたくさんあります。本殿だけで終了とせずに小さな祠にも思いをはせると、意外なご神徳に与かれるかもしれません。
1、帰りの会釈も忘れずに
お参りがすんだらやれやれというのではあと一歩。神前をさがり帰り道で鳥居をくぐったら、くるっと振り返って来たとき同様「失礼いたしました」のご挨拶をします。「家に着くまでが遠足」ではないですが、「神域を退出するまでがお参り」。最後まで感謝の気持ちと緊張感を忘れずに。
今年の参拝は、混雑を避けてゆったりとお参りしてはいかがでしょうか。神社仏閣をのんびり探索すると今まで見つからなかった新しい発見があるかも。